スルメみたいに読めば読むほど味が出てきて、発見がある柳田國男の『炭焼日記』。こんな記述もあった。
昭和20年12月26日 有坂与太郎氏始めて来る、読書人協会の発起人になつてくれといふこと、建設社阪上真一郎といふ人の為といふ。
(参考)阪上は、建設社出版部(牛込区揚場町八)の代表者だったようだ*1。
追記:昨日はNHK教育で日本のSF50年特集を見る。平井和正は名前だけでインタヴューはなかったような気がした。女性SF作家(栗本薫や新井素子など)の出番もなかったね(出てもらわんでいいけど)。わしは、ヤマトに並んだ覚えはないよ。まだ、×学生だったやうな。
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『エコノミスト』の「永江朗の出版業界事情」は、書肆アクセスの話。
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甲鳥書林に塩谷賛(土橋利彦)が勤めていたことは、山本善行『関西赤貧古本道』(新潮新書、2004年2月)で既に言及されていたのだね。全然、覚えていなかった。
また、PR雑誌「甲鳥」で、例えば塩谷賛(本名、土橋利彦)が、庄野[誠一]と共に編集部にいたことも分かった。塩谷賛は、幸田露伴を担当しているうち、そのまま助手となったという。最後の弟子として、後に、伝記『幸田露伴』(中公文庫)を著した。
参考:6月6日