未來社の『秋田雨雀日記』については、今月号の『日本古書通信』でも紹介されているけれど、多彩な人物が登場してくるので、非常に役に立つ。
カフェネタや谷崎潤一郎ネタがあることは既に紹介したけれど、秋田はエスペランチストでもあったので当時の著名なエスペランチストの動向も判明する。
たとえば、『秋田雨雀日記』第1巻によれば、
大正12年5月19日 夜、ピースサロンで黒田礼二君の帰朝歓迎会に出席。堺、鈴木(文)、中村(吉)、布施(勝)、山崎(今朝)、片上、吉江ら五十名ほど出席。黒田君の談話があった。
大正12年5月30日 午後七時から、文化会および職業婦人会に出席。黒田礼二君の談話があった。ロシアのプロステチュートが革命後非常にすくなくなったこと、新経済政策後、また表われてきたが、労農政府は必然の結果として罰しないというのはおもしろかった。
大正13年5月11日 午後三時から神田宝亭で日本エスペラント学会の藤沢親雄君の歓迎会及び卒業エスペランテストの送別会を開いた。藤沢君のエスペラントはヨオロッパへ行ってすてきなものになってきた。
黒田礼二(岡上守道)や藤澤親雄に出会える日記は珍しいね。片上伸や吉江喬松(孤雁)らしき名前も見えるね。そう言えば、最近、「岡上守道」でググってここへきた人が何人かあったけれど、何か調べているのかしら・・・
柳田國男にも出会えた。
大正14年11月7日 午前十二時ごろ高師のエスペラント会に出席。「エスペラントと将来の芸術」について。柳田国男氏とはほとんど二十年ぶりであった。リベラリスト。むやみと考古学的になっている。
同日記には、まだまだトンデモない人に関する記述が埋もれていそうだ。