神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

 図書切符と書籍切手

「古書の森日記」に出てきた博文館発行の雑誌と書籍のみ引き替えられるチケットとしての「図書切符」。似たような「書籍切手」について、森銑三が『明治東京逸聞史』に書いていた。 書籍切手(同上[開花新聞]十七・三・二十五) 同紙に、兎屋で書籍切手を拵…

 安成貞雄山脈

『安成貞雄 その人と仕事』に収録された『実業之世界』大正13年9月号掲載の「安成貞雄氏の為め会葬及び供物を給はりし芳名」から、何人かを抜き出してみよう。 關如来 石原俊明 高島米峰 近藤憲二 久米正雄 村松正俊 生方敏郎 清水彌太郎 堺利彦 葛西善蔵 松…

 中村古峡と霊怪談話会

泉鏡花の年譜*1の昭和3年8月の欄に、 二十九日付「東京朝日新聞」の「ラヂオ」欄に、午後七時二十五分から「柳田国男、泉鏡花、喜多村緑郎、中村古峡」出演の「霊怪談話会」の番組予定が載った(柳田、喜多村の出演は確かながら、鏡花の出演は未確定)。 と…

萬鐵五郎の第一回円鳥会展と星製薬 

萬鐵五郎らによって、大正12年1月円鳥会が結成された。萬の「円鳥会展覧会に就て(上)」(『東京朝日新聞』大正12年6月3日)によると、 今年一月その成立を発表いたしました吾が円鳥会は、六月一日から十日まで、京橋星製薬楼上にて第一回展覧会を開催する…

 戦前の心霊研究家瀧川辰郎

大正6年1月に創刊された大本教の機関誌『神霊界』。浅野和三郎が主筆兼編輯長となったこの雑誌に、瀧川龍舟こと瀧川辰郎は何回か執筆している。「国体の精華(一)」(84号、大正8年4月15日)、「大本の鎮魂とキリストのミラクル 大本信者の聖書研究」(135…

 時代や書店で境野黄洋を買う福原麟太郎

福原麟太郎の「昭和二十年の日記」(『福原麟太郎著作集8』)に時代屋書店という古本屋が出てくる。 五月十二日。(略)三軒茶屋に至り散髪。(略)帰途中里で電車を降りて、時代屋という古本屋を見る。境野黄洋『日本の仏教』、大和田建樹『狂言評釈』を買…

 猫猫先生の天敵だった岡田道一博士

昭和17年10月7日、日本国語会の理事37人選任。葦津正之、市村瓚次郎、大西雅雄、小笠原長生、岡田道一、鬼塚明治、斎藤晌、斎藤忠*1、島田春雄、東條操、林古渓、久松潜一、松尾捨治郎、森本忠、保田與重郎といった名前がある。その他、作家としては太田正雄…

キリスト教の日本的変容 海老名弾正・中田重治・宮崎湖処子・徳冨蘆花・巌本善治

勝本清一郎の『座談会明治文学史』での発言。 (略)明治大正時代にキリスト教思想を、日本の神道思想に妥協させる考え方の流れが一つあるわけですね。海老名弾正が、天御中主之神とエホバを同一視したり、ホーリネス教会の中田重治の日本人ユダヤ民族説だの…

いつまでも慕われる国木田独歩

東京大学出版会のPR誌『UP』8月号で、T氏が「『死生学』一斑」を書いている。同会刊行の『死生学とは何か』所収の竹内整一「死の臨床と死生観」に、かつて植村正久に洗礼を受け、後に棄教した独歩が、死の直前植村に救いを求めた話が書かれていることを…

 神政書院の巌本善治と三浦関造

巌本善治というと、明治女学校とか『女学雑誌』が定番であるが、大東亜トンデモ学ともちびっと関係しているみたい。近代文学研究叢書第52巻の巌本の章によると、 やがて彼は、“明道の会”とも言われる「惟神会」を通じて「真の惟神の大道を開明し、国教を確立…

 西田天香も試したタラコン湯

京都では多少知られた一燈園の西田天香。ミネルヴァ書房から宮田昌明『西田天香』が出るくらいだから、全国区でもあるかしら。西田の日記というか、覚書に『天華香洞録』というのがあって、その大正13年1月8日の条によると、 胃病にタラコン湯がよくきくとて…

 日本国語会に結集した人達

安田敏朗『金田一京助と日本語の近代』(平凡社新書)にチラリと登場した日本国語会。メンバーについては、6月12日に紹介した。 森本忠『僕の詩と真実』によると、国語国字改良運動に対抗すべく同会に集まった人には、法政大学教授の大西雅雄、国学院の松尾…

幸徳秋水と福来友吉の催眠術書

大逆事件により拘留中の幸徳秋水の堺利彦宛明治43年11月21日付け書簡*1に、福来友吉博士のものと思われる催眠術書*2が出てくる。 △字書は二つ同時に来た。一つは早速君を宛て宅下郵送を願つてある。同時に福来博士の心理学とアナトールフランスのペンギンア…

 藤澤親雄と大本教

青桃氏のコメントで「藤澤親雄と三浦関造が、昭和一ケタ大本教機関紙『昭和』に投稿していました」とあったが、藤澤については、松本健一氏も書いていた。シリーズ民間日本学者の『出口王仁三郎』(リブロポート、1986年12月)によると、 そのどれをみても、…

 宮崎滔天と太霊道 

晩年、大本教に関心を持ったり、大宇宙教の信者となった宮崎滔天は、太霊道についての文章を書いたことがある。 上村希美雄『宮崎兄弟伝 完結篇』によると、 そうした中で「お直婆さん」の神観はしぜん一家の評判となり、『大本教批判』*1は家族の手に廻し読…

 満洲心理学会々員としての柿沼介

元満鉄大連図書館長で、満洲国立中央図書館籌備処嘱託の柿沼介。東京帝国大学で心理学を専攻していたらしく、満洲心理学会の会員となっている。 坂西友秀『近代日本における人種・民族ステレオタイプと偏見の形成過程』(多賀出版、2005年1月)によると、 一…

 もう一つの皇道主義図書館

終戦の日だからというか、なのにというべきか、早速、並木軍平の皇道図書館*1とは別の皇道主義図書館の話。 ある図書館開館の記事によると、 此の秋に当り、吾等×××××××××××は、郷土の脚下より皇道精神を湧起せしむべく、独力万難を排して図書館を創立するに…

 甘粕正彦と謎の心霊研究協会

佐野眞一先生でも解けなかった謎をオタどんが解いた。 太霊道と心霊研究協会が出てくる『甘粕正彦乱心の曠野』の次の一節。 陸士時代のノートには宗教への強い関心も随所に表れている。(略) 特に興味を引かれるのは、太霊道という新興宗教が東京朝日新聞に…

 中外商業新報の黒田湖山

黒田湖山(本名・直道)が、岡本綺堂の日記に出てきた。 大正13年1月15日 中外商業新報の黒田湖山君から郵書が来て、四月ごろから連載小説をたのむといふ。新聞小説は難儀だから、例に依つて断りの返書を送る。 黒田の名前を日記で見るのは初めての気がする…

星製薬と黒曜会第二回展覧会

星製薬を会場として開催された展覧会については、何回か紹介したが、小松隆二『大正自由人物語 望月桂とその周辺』(岩波書店、1988年8月)にも出てきた。プロレタリア美術展である黒曜会第二回作品展覧会が、大正9年11月23日から6日間星製薬(京橋区南伝馬…

 駒澤大学図書館の設計者菅原栄蔵

菅原定三『美術建築師・菅原栄蔵』(住まいの図書館出版局、1994年12月)を読んでいたら、菅原栄蔵という人は駒澤大学図書館(大正15年竣工)の設計者だった。 当時、学長として努力していたのは忽滑谷快天禅師であり、大学認可にあたって校舎増築のほかとく…

藤村会の発起者

『文章世界』10巻11号(大正4年10月1日)中の「文界消息」によると、パリ滞在中の島崎藤村後援のため、田山花袋、中澤臨川、馬場孤蝶、戸川秋骨、蒲原有明、小山内薫、有島生馬らが発起者となって、藤村会が設立された。また、「藤村会清規」によると、藤村…

 大野晋とスメラ

大野晋『日本語をさかのぼる』(岩波新書、1974年11月)によると、 日本語のスメラ、スメロは、最高の神である天皇、または皇祖神を指す形容語となっている。しかし、これがアルタイ諸民族の中の、「世界の山」を指すsumerと語形が全く一致することを偶然と…

 教育界の新人としての三浦関造

未見だが、『教育界』22巻3号(大正12年3月3日)で「教育界の新人三浦関造氏の印象」という小特集があって、 井箆節三「童聖の題」 島田格蔵「友人三浦君に就て」 江部鴨村「三浦関造氏の一面」 別所梅之助「血性男児」 金子白夢「私に映した三浦関造君」 鈴…

 藤澤親雄と大日本言論報国会

『日本文学報国会大日本言論報国会設立関係書類 下巻』所収の「昭和十九年度社団法人大日本言論報国会関係綴」を見てたら藤澤親雄の名前を発見。昭和19年3月29日、麹町区三年町社会事業会館で開催された会員研究会(外務省事務官牛場信彦*1による「独逸の必…

下中彌三郎と三浦関造

平凡社から刊行された岡田播陽『大衆経』(昭和5年6月)に同社々長下中彌三郎が寄せた「『大衆経』の刊行に就て」によると、 「大阪におもしろい学者がある。呉服屋の主人で藝術の鑑賞も学術の研究も共に深く広いこと恐らく現代多く他に類を見ぬだらう、一度…

 限定私家版『細雪』の行方を追え!(その4)

限定版『細雪』の寄贈先も4人目。手持ちは後二人ある。 正宗白鳥「文藝時評」『新生』昭和21年2月号によると、 『細雪』は二度読んだ。昨[ママ]年(昭和十九年)七月、非売品として、二百部を限り印刷された細雪上巻の特種本を、著者から寄贈されたので、兎…

台湾愛書会のメンバー 

小林信行「若き日の島田謹二先生 書誌の側面から(3)」『比較文学研究』77号に、台湾愛書会が出てきた。 (昭和八年)四月十二日、三年前から台北帝大で同好者が集まって続けていた「書物の会」のメンバーで、台湾日日新報社社長河村徹、台湾総督府図書館…

 三浦関造と更新文学社

三浦関造が大正期に更新文学社という出版社を経営していことはあまり知られていないと思われる。 秋田雨雀に日記にこの出版社のことが出てくるので紹介しておこう。 大正5年9月2日 きょう、朝、もと弘前の牧師をしていた三浦開[ママ。以下同じ]造君が東[ママ…

 松村介石の『道』、『道話』と中村古峡

松村介石が主宰した雑誌『道』と『道話』の総目次(作成:刈田徹、平井誠二)を見てたら、中村古峡の著作が出てた。曾根博義先生のリストにないので、一応記録しておかう。 『道』・・・「神憑とは何ぞ」(137号、大正8年9月) 『道話』・・・「迷信を排す」…