神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 藤澤親雄と大日本言論報国会


『日本文学報国会大日本言論報国会設立関係書類 下巻』所収の「昭和十九年度社団法人大日本言論報国会関係綴」を見てたら藤澤親雄の名前を発見。昭和19年3月29日、麹町区三年町社会事業会館で開催された会員研究会(外務省事務官牛場信彦*1による「独逸の必勝態勢」の講演)の出席者だった。他には、日独同志会*2のメンバーだった野津謙・永山忠則とか、末次信正、西谷彌兵衛、内藤智秀、中河與一、大槻憲二、諸岡存、由良哲次、茂森唯士、田所広泰らも。板垣鷹穂、橋本文夫という名前も。橋本については、このブログに初登場と思う*3が、戦後中央大学に文学部が創設された際、教授として招聘された独文学者で、戦前はデュルクハイム伯の通訳をしていた。


また、同書の別の綴によると、昭和18年6月1日現在の大日本言論報国会役員名簿の中に、藤澤、中河、永山、西谷の他、増田正雄、島田春雄仲小路彰、満田巌、松本徳明、大熊武雄、杉山謙治、吉田三郎といった名前が見える。

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京都カフェじかん』(成美堂出版)を見る。進々堂は大学の第2の図書館らしい。


岡田道一が創設した日本心霊医学会は、国会でも話題になったことがある。→「http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=20166&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=2&DOC_ID=5046&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=20305

*1:昭和16年6月駐ドイツ大使館赴任、19年1月帰国。3月23日分には「牛場外務書記官」として登場。

*2:昭和11年12月設立、13年9月大日本防共同志会に改称、15年6月大日本同志会に改称

*3:検索したら、ナチス叢書のグラーフ・フォン・デュルクハイム『独逸精神』(アルス、1941年6月)の訳者として言及していた。