神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 甘粕正彦と謎の心霊研究協会


佐野眞一先生でも解けなかった謎をオタどんが解いた。


太霊道と心霊研究協会が出てくる『甘粕正彦乱心の曠野』の次の一節。

陸士時代のノートには宗教への強い関心も随所に表れている。(略)
特に興味を引かれるのは、太霊道という新興宗教が東京朝日新聞に載せた全面広告(大正七年二月十二日)や、心霊研究協会なる団体が大正十二年一月に有志に配付したガリ版刷りの設立趣意書が、ノート類*1の間に挟み込まれていたことである。
心霊研究協会がいかなる団体かは不明だが、その設立趣意書には、自働書記、幽霊写真、空中浮上り、天眼通、読心術、卓子傾斜(いわゆる狐狗狸さん)などの怪しげな文言が並び、明治末期に世間を騒がせた「千里眼事件」を連想させる。


この「心霊研究協会」。大正12年の心霊関係の団体と言えば、一柳廣孝*2やma-tango氏にはすぐにピンと来るのだろうが、オタどんはすぐには分からなかった。


まず、佐野先生の言う設立趣意書だが、杉山義雄『心霊研究協会設立について趣意書』(杉山義雄、大正12年)のことと思われる。そして、杉山が、大正12年に設立に関与した団体を見つけた。あの浅野和三郎心霊科学研究会である。松本健一『神の罠 近代知性の悲劇』(新潮社、1989年10月)によれば、大正11年12月5日学士会館で、心霊科学研究会結成のための同人の第一集会が開催され、江木衷、松村任三、花井卓蔵、浅野和三郎、佐野静雄、杉山義雄、武藤稲太郎ら二十余名が出席したという。翌12年3月23日、同じく学士会館で開かれた創立大会には、前記メンバーの他、弁護士の板倉中、今村力三郎、早大教授中桐確太郎、豊島與志雄*3らが出席している。どうやら、当初は「心霊研究協会」を名乗っていたようだが、最終的には「心霊科学研究会」として発足したようだ。


松本氏は記していないが、杉山義雄は秀英舎(後の大日本印刷*4の社長で創立大会時の座長、武藤稲太郎は海軍少将で艦本第六部長であった。松本氏によると、心霊科学研究会には、多くの海軍軍人が関与している。陸軍軍人の関与は不明なので、甘粕との接点は不明である。太霊道の方は、大正7年2月12日東京朝日新聞の4頁にわたる広告*5の中に、信者であった陸軍主計総監井出治、陸軍少将横田宗太郎らが一文を寄せている。



太霊道心霊科学研究会に関心を寄せていた甘粕正彦心霊科学研究会が発足し、機関誌『心霊研究』が創刊されたその大正12年関東大震災が発生し、甘粕は、大杉栄虐殺事件を引き起こす、若しくは罪をかぶることとなる。

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誰ぞもいないし、こーそり、じゃない堂々と覗いてくるか。
黒岩さんのところのコメントで知ったが、あの『観覧車物語』の福井優子さんのブログが始まっていた。→「http://blog.livedoor.jp/tenbosenkaisha/
同書は南陀楼綾繁さんも読んでいる。→「http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20050217


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ほげほげしてたら、トンデモないものを拾ってすまっタ(誰ぞ風に)。
ワレ、ダイニノコウドウシュギズショカンヲハッケンセリ。


安田敏朗金田一京助と日本語の近代』(平凡社新書)が出ていた。

*1:甘粕は陸士を明治45年5月に卒業しているので、陸士時代のノートとは別か。

*2:最近、「書棚の隅に何かいる」の第3回として、「その後の太霊道 日本霊道会と機関誌「霊界」をめぐって」をナイトメア叢書第6巻『女は変身する』(青弓社、2008年5月)に執筆していた。

*3:豊島が太霊道に関心を寄せていたことについては、昨年9月15日参照。

*4:偶然のことであろうが、太霊道の出版物は、専ら秀英舎が印刷所となっている。

*5:昨年10月4日に紹介した宮武外骨が言及した広告である。