青桃氏のコメントで「藤澤親雄と三浦関造が、昭和一ケタ大本教機関紙『昭和』に投稿していました」とあったが、藤澤については、松本健一氏も書いていた。シリーズ民間日本学者の『出口王仁三郎』(リブロポート、1986年12月)によると、
そのどれをみても、日本主義、尊皇思想、機関説排撃の論において共通する。こういった主義、思想、方針をかれは実践したばかりではない。昭和青年会や神聖会の機関誌を通じて広めた。その機関誌には、当時の日本主義者、尊皇思想家、国体明徴論者、ファシストのほとんどすべてが寄せ集められている。名のみをあげると、内田良平、蓑田胸喜、室伏高信、倉田百三、藤沢親雄、赤松克麿、上杉慎吉、津久井龍雄、林逸郎、赤尾敏、宅野田夫、紀平正美、下位春吉・・・・。
藤澤と大本というのは意識したことはないが、そもそも竹内文献を知ったのは、大本を通じてであったのだろうか。
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里見甫のアヘン資料の旧蔵者の毛里英於菟って、わすのブログに出てた。→「http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20080529/p1」