神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

満洲

満鉄図書館長と中谷治宇二郎

中谷治宇二郎『考古学研究への旅 パリの手記』の「シベリヤの旅」に、満鉄図書館長のK氏なる人が出てくる (昭和四年) 七月六日晴。朝八時ハルピン着、直ちに満鉄事務所にK図書館長を訪ねる。この地在住の露国考古学者Tolmatchoff氏と面会したいためである…

満鉄哈爾濱図書館長栗栖義助と夫人つた子

「民衆図書館」については、「『中外』の内藤民治と民衆図書館」(2010年10月10日)で言及したが、秋田雨雀の日記にも、「民衆図書館」が出てきた。 昭和6年4月18日 ハルピンの栗栖蔦子女史が民衆図書館を建てるのだといってやってきた。奥むめお、織本貞代…

内田樹の父内田卓爾のヒストリー

「内田樹の父、内田卓爾はあやすーぃ?」(1月26日)から7ヶ月を過ぎたが、内田卓爾が諜報機関の仕事をしていたという確認はできていない。今のところ判明したのは、『人事興信録第二十二版』、『華北交通株式会社社史』、「在外日本人学校教育関係雑件/退…

親切すぎる板垣一二三満鉄営口図書館長

宋斗会『満州国遺民 ある在日朝鮮人の呟き』(風媒社、2003年6月)に、板垣なる満鉄の図書館長が出てくる。 営口の新市街には、満鉄の図書館があった。田舎の町だからそんなに大きなものではなかったが、その図書館の館長であった板垣さんという人が、どうし…

野波静雄と下中弥三郎

2006年2月21日に言及した旅順図書館と下中弥三郎だが、旅順図書館ではなく、大正7年に関東都督府博物館(のちの旅順博物館)分館に設置された図書閲覧場ではないかという気もしてきた。まず『下中弥三郎事典』の「旅順図書館」の項を再掲すると、 大正七年(…

内田樹の父、内田卓爾はあやすーぃ?

内田樹氏の父はその詳しい経歴について、次男の樹にも語らなかったという。後藤正治『表現者の航跡』(岩波現代文庫、2009年6月)によると、 父は一九一二(明治四十五)年生まれ。明治最後の人であるが、その詳しい来歴を内田は知らない。語らない父であっ…

佐野洋子の父、満鉄調査部の佐野利一

亡くなられた佐野洋子に関心はないのだが、11月9日の読売新聞で、三木卓氏が「さようなら佐野洋子さん」として、洋子の父佐野利一について、満鉄調査部出身で東洋史が専門と書いていた。戦後は、三木氏の入学した静岡高校で世界史の先生をしていたという。ま…

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』(工作舎)への補足(その3)

書籍コード183は軍用鳩調査委員会編『軍用鳩通信術教程草案』(北林鳩具店印刷所、昭和10年)。これの原型は既に昭和2年6月には完成していたようだ。2007年3月17日に書いたが、井崎於菟彦大尉が、「鳩通信仮教程」を三田村鳶魚に渡している。三田村の日記の…

柴野拓美の父と満洲映画協会

山口猛『哀愁の満州映画』に、昭和12年設立された株式会社満洲映画協会の設立経緯が書かれており、その中に映画対策審議会の審議委員や満映の準備委員だった関東軍司令部の柴野為亥知少佐なる人物が出てくる。この柴野少佐は、先日亡くなられた柴野拓美の父…

満鉄図書館員と内山若枝

川上初枝は若林不比等と結婚して、若林初枝となる。のち、若林と離婚又は死別して、日高輝忠と再婚。日高初枝となったはずだが、三村三郎によると日高みほと名乗っていたようである。このほか、小田秀人の戦後の回想によると、初枝は内山若枝と名乗っていた…

満洲短歌会と若林初枝

昭和4年5月『満洲短歌』(満洲郷土藝術協会)創刊。創刊号に載った短歌。 菫咲かばふたゞび来むと乙女子の誓ひ愛しもはや咲けすみれ等 若林初枝川上初枝=若林初枝=内山若枝=日高みほが歌人だったらしいことは、昨年12月20日に言及したが、その歌が見つか…

大陸講談社の『ますらを』と満洲雑誌社の『満洲良男』

西原和海氏の論考「関東軍の慰問雑誌『満洲良男』と『ますらを』」『彷書月刊』平成20年8月号によると、昭和13年3月頃関東軍司令部により慰問雑誌『満洲良男』創刊。昭和15年5月頃大陸講談社から『ますらを』と改題して刊行。更に、『満洲良男』と旧誌名に復…

檀一雄と藤山一雄・山崎末治郎

檀一雄は、昭和15年12月召集解除となるが、再召集をおそれ渡満。翌年10月の帰国まで満洲各地を歴遊。檀の『青春放浪』によれば、満洲で知り合った知識人として、藤山博物館長、山崎図書館長、杉村満日文化協会理事、武藤弘報処長らをあげている。杉村は杉村…

満鉄鞍山図書館長佐竹英治=鈴木英治

鎌倉保育園の創立者佐竹音次郎の日誌に満鉄図書館に勤務していた佐竹英治なる人が出てきた。 大正8年12月3日 夜、大塚素氏(*)に面会し、英治の就職十三日頃満鉄図書館に決する由。*原注:同志社卒、巣鴨事件で教誨師をやめ満鉄理事勤務。 英治は佐竹英治…

ある建国大学生が見た新京特別市立図書館

西村十郎『樂久我記−満洲建国大学 わが学生時代の思ひ出−』にある図書館が出てきた。 昭和17年9月5日 午後図書館に赴いての勉強となつたが、火曜日の演習発表に備えての外出であつたのに目的に叶ふ書籍はなく、やつと二冊に眼を通したが、満鉄の付属図書館と…

 満洲心理学会々員としての柿沼介

元満鉄大連図書館長で、満洲国立中央図書館籌備処嘱託の柿沼介。東京帝国大学で心理学を専攻していたらしく、満洲心理学会の会員となっている。 坂西友秀『近代日本における人種・民族ステレオタイプと偏見の形成過程』(多賀出版、2005年1月)によると、 一…

最相葉月の残された宿題

誰ぞも読んだという最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)。 最相さんは、『SF japan』夏号のインタヴューで次のように語っている。 お父さんは、まだまだ謎が多いですね。私自身も興味があります。特に「中国、満州に進出した後の星製薬が何…

平凡社創設者下中彌三郎の謎(その1)

『下中彌三郎事典』(下中彌三郎伝刊行会。昭和40年6月発行)から読み解く。 1 下中彌三郎と旅順図書館 「旅順図書館」の項目から引用。 大正七年(一九一八年)八月日本女子美術時代の教え子野波八重子が旅順から下中を訪ねてきた。下中はこの年の三月…

『満鉄中央研究所』(杉田望著)から

もう一つ、日本占領時代を生々しく記憶に甦えさせられるのは、 撫順近郊に今でも残る「日本人戦犯収容所跡」である。現在、 歴史資料館となっているのだが、そこに展示してある資料のな かに満州国裁判官を務めた飯盛重任(いいもりしげとう)の中国 侵略を…