神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 三浦関造と更新文学社


三浦関造が大正期に更新文学社という出版社を経営していことはあまり知られていないと思われる。
秋田雨雀に日記にこの出版社のことが出てくるので紹介しておこう。

大正5年9月2日 きょう、朝、もと弘前の牧師をしていた三浦開[ママ。以下同じ]造君が東[ママ。以下同じ]新文学社をおこして、ぼくの脚本を出版したいといって雑誌を七、八冊と「埋もれた書」を持っていった。


   10月28日 けさ三浦開造君がきて、東新文学社で小説、戯曲、論文を七、八編あつめて叢書をつくりたいといった。岡田哲蔵、吉野作造、三浦、武者小路、里見、島崎藤村その他の作を集めて一円くらいに売りたいというのだそうだ。ぼくは戯曲を書く約束をした。


   11月2日 二時ごろ神田今川小路二ノ三に(東新文学社)三浦開造君を訪い、今荘の二階でしばらくぶりで牛肉を食べた。三浦君は一種の快男子だが、なんだか、そそっかしいような感じをあたえる。出版者としては危っかしい。


  6年5月16日 午後神近君を訪い、夕食を食べて二人で神田の三浦開造君を訪い、御馳走になりながら、いろんな議論をした。三浦君は三星という新しい喫茶店へ案内した。同君はそこの若い姉娘にラブしているようだ。神近君を送って林町まで行った。


  7年2月15日 三浦開造君がしばらくぶりでやってきた。本屋の仕事をしているそうだ。なにか翻訳をしているらしい。


三浦は神智学よりもカフェの女給にラブしている時期があったようだね(笑
秋田が懸念したように出版者としては成功しなかったようだ。青山学院で英語英文学の教師をしていた岡田哲蔵の著作を刊行したかは不明だが、岡田播陽の処女作『明けむとする夜の叫び』(大正5年6月)などを発行している。それから、大正5年10月28日の条に里見(とん)の名前が出てくるが、書いてもらえる当てがあったのだろうか。

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誰ぞが、エスカレータでずっこているのを見たやうな気がする(笑


日経の文化面に、江原絢子・東四柳祥子『近代料理書の世界』(ドメス出版)の話が出てる。村井弦斎の『食道楽』への言及もあり。

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週刊ポスト』に、むのたけじ、(聞き手)黒岩比佐子『戦争絶滅へ、人間復活へ――93歳・ジャーナリストの発言』(岩波新書)の紹介が出ていた。