神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

建築

三木清も住んだ本郷館も解体へ

読売新聞東京版連載の「森まゆみのむかしまち散歩」21日分は、「本郷館(文京区本郷6丁目)」だった。 そして明治38年に本郷館ができ、翌年、徳田秋声がその近くに越して昭和18年に亡くなるまで住みました。明治41年には石川啄木が金田一京助の誘いで隣町の…

堀多恵子と生田勉

生田勉の日記に堀辰雄夫人堀多恵子が出ていた。 昭和14年12月9日 鎌倉行き。堀辰雄さんの奥さん、家の前に出ていて呉れる。小林秀雄がいる。いろいろのはなし。立原の日記。堀さんの家の設計。立原のこと思い出されて、彼が我々の前から消えて了ったことによ…

帝国図書館に土足で入館できるようになった年

上野の帝国図書館がいつから土足で入館できるようになったかについて書かれた文献をどこかで見たような気もするが、それとは別に生田勉の日記でも判明する。 昭和7年3月12日(土) 朝七時起床。上野図書館に着いたら例の長い行列をなしていたが、少し早すぎ…

 駒澤大学図書館の設計者菅原栄蔵

菅原定三『美術建築師・菅原栄蔵』(住まいの図書館出版局、1994年12月)を読んでいたら、菅原栄蔵という人は駒澤大学図書館(大正15年竣工)の設計者だった。 当時、学長として努力していたのは忽滑谷快天禅師であり、大学認可にあたって校舎増築のほかとく…

隣近所の柳田國男と丹下健三

丹下健三の自伝『一本の鉛筆から』(日本経済評論社、昭和60年8月)によると、 前川建築事務所にいたころ、四谷の木造アパートの設計を担当したが、出来上がると自分も住みたくなリ、しばらくの間はそこに入っていた。同じアパートに松村さんという若いご夫…

建築関係の展覧会が多い特異な年

「文京ふるさと歴史館だより」12号によると、 武田五一(1872−1938)は、明治末期から 昭和初期にかけて活躍した、日本近代を代表する 建築家のひとりです。(中略)代表作は日本勧業 銀行本店(明治32年、現、千葉トヨペット本社、 国登録有形…