神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

柳田國男とGHQのコンタクト

敗戦後の柳田國男とGHQの接触については、大塚英志氏や中生勝美氏が書いている。 このうち中生氏の論文については、一昨年8月2日、12月8日にも言及した。この論文では、柳田とハーバート・パッシンの接触について、パッシンの著書*1に基づき、「四六年八…

 上野の図書館の悪口

上野の図書館の悪口を言う人はなかなか見つからないが、中浜東一郎が日記に書いていた。 明治27年6月18日 本日上野の図書館に行く。門番人其他掛員甚た不遜なり、小役人の常なれは今更怪しむに足らず。 帝国図書館になる前の東京図書館の時代の話だすね。 - …

酒井勝軍の死とトンデモない人達

戦前期日本におけるトンデモ世界の巨人の一人*1、酒井勝軍は昭和15年7月死去。主宰していた『神秘之日本』は同年11月に追悼録として終結号を発行。その中に「弔問弔詞を賜はりたる御芳名」があって、巖本善治や押川清(春浪の弟)の名前もある。もちろん竹内…

掛川病院長山崎増造のネットワーク

日本広しと言えども、明治期の掛川病院長山崎増造なぞに関心のあるのは、ma-tango氏(と『天下之記者』の著者高島俊男氏も?)ぐらいであろう。余り関心のないオタどんではあるが、幾つかの日記に名前を見かけたので、忘れないうちに記録しておこう。 ジョン…

 バハイ教徒アグネス・アレキサンダーとその時代

盲目の詩人エロシェンコは、中村屋サロンの一員で、全集もあり、また中村彝(つね)による肖像画でよく知られていると思うが、彼と親しかったアグネス・アレキサンダーについては、まったく知られていない。日本バハイ協会の代表であった女史については、既に…

ダントツ一位の谷崎の原稿料

田中純「お大尽貧乏里見紝」(『作家の横顔』所収)に、 ここで当時の(大正初期の)原稿料の相場を披露すると、その頃、春陽堂の顧問格の鈴木三重吉の作った価格表があったが、それによると最高が一円で、秋声、花袋、藤村級。但し、谷崎潤一郎だけは、中央…

松宮春一郎と水野葉舟と吉川英治のマンダラ

折口信夫『初稿・死者の書』所収の安藤礼二「光の曼陀羅−初稿『死者の書』解説」の次の一節。 しかし折口が、なぜ、この『世界聖典全集』を発行していた世界文庫刊行会、さらにはそれを主宰していた松宮春一郎とつながりができたのか、折口に関するあらゆる…

森茉莉と源氏物語

今年は源氏物語千年紀とやららしいが、全く興味がない。しかし、せっかくなので源氏ネタを。 『折口信夫全集』別巻3所収の座談会「源氏物語研究」によると、 池田(弥三郎) 鴎外先生は源氏をお読みになつたのですか。 小島(政二郎) 私がお目にかゝつたと…

伊号潜水艦帰還せり

戦時下の日独間の連絡手段確保のためにドイツに派遣された伊号潜水艦については、吉村昭『深海の使者』に詳しい。 これによると、伊号第八潜水艦に便乗して帰ってきた*1のメンバーの中にドイツ駐在大使館付海軍武官横井忠雄少将、伏下哲夫主計中佐の名前が見…

谷崎一族の多事多難

谷崎精二「日記」(『新潮』昭和2年12月号)によると、 十一月三日 正午頃眼を醒すと伯父が来て茶の間で待つて居る。急いで顔を洗つてから伯父と対談。予想した通り伯父の用談は無心だつた。伯父から金策を頼まれたのは今始めてゞはないが、今度は大分金額が…

岡本昆石 慶應は出たけれど 

三村竹清の日記から。 大正10年7月24日 朝 岡本翁行 此日より 性心療法之筆記にかゝる 昆石翁之対話無駄話多く 岐路にわたりて要領を得す 其書も翁一流之理論多くして倦怠を催す 翁は慶応義塾之最も古き卒業生ニて 英学に達したる人なるに 今日未た聞ゆるな…

にきび面の谷崎潤一郎

戦前国民精神文化研究所長を務めた関屋龍吉の回想録『壺中七十年』によると、府立一中時代のこととして、 私の次のクラスには谷崎潤一郎君がいて、その頃すでに文学的天才として先生方に認められていたが、いつも満面ににきびをうかべ運動場の片隅で読書にふ…

天下之奇人山田一郎と長澤雄楯

奇人にしてジャーナリストであった山田一郎というと、黒岩さんの好きそうな人物だが、わすも高島俊男『天下之記者 「奇人」山田一郎とその時代』(文春新書)を立ち読みしてみた。催眠術に関する著作もある掛川病院長の山崎増造(一昨年7月12日参照)が出て…

戦時下の霊術家

戦時下では、いかがわしい霊術家は一掃されていたのかと思っていたが、ところがどっこいそんなことはなかった。森田草平の日記によると、 昭和19年3月22日 (略)午後一時半より西荻窪の霊動会へ行く。(略)石川氏の夫人に会い、更に同氏の指圧を受く。寔に…

 日本力行会の海外巡回図書箱

阿部次郎の日記に「海外巡回図書館」なる言葉が出てくる。 大正10年5月4日 次いで日本力行会の山田某本を貰ひに(海外巡回図書館の為)来る、 この「海外巡回図書館」は正しくは「海外巡回図書箱」である。 『日本力行会百年の航跡』によると、 それから植民…

大槻憲二と評論随筆家協会

『昭和三年版評論随筆家名鑑』(評論随筆家協会、昭和3年4月)中の「評論・[ママ]随筆家協会記録」によると、同会は大正15年初冬発起人会を開催。発起人は、次のとおり。 長谷川如是閑、長谷川天溪、馬場孤蝶、西村眞次、本間久雄、戸川秋骨、大槻憲二、河野…

柳田國男と宮武外骨

骨は骨でも、凡骨ではなく外骨さんの方の話。従来、柳田國男は宮武外骨に対して否定的評価をしていたとされている。しかし、三村竹清の日記に面白い記述がある。 大正7年6月6日 夜 三田村鳶魚君来 柳田さんハ手置をよくして上けないといけない人故 二三度上…

柳田國男の書簡流出事件の真相

柳田國男が、27歳(明治34年に当たる)の初めての信州旅行時に「姉上様」に送った書簡が流出していた事件については、一昨年10月29日に話題にした。岩本由輝先生は『柳田國男』で、この書簡について、「「姉上様」は、義姉にあたる矢田部順か、木越貞、その…

最初から結論ありきの露探事件判決

最初の露探容疑者長田秋濤が訴えた裁判の判事早川早次と、市島春城の接触については、昨年10月9日に言及したところ。市島の回想に驚くべきことが書いてあった。 「豪快児長田秋濤」(『余生児戯』冨山房、昭和14年11月)によると、 (前略)不謹慎と放縦は彼…

歌う催眠術師石川啄木

石川啄木が佐藤衣川に出合ったのは、明治37年10月に処女詩集刊行の目的で上京していた時の事になる。その佐藤をモデルにした小説*1が、「病院の窓」。執筆は佐藤と釧路新聞社で再会した後の明治41年5月で、生前は未発表である。同作品によると、 野村は或学…

国策研究会と辰野隆

戦前大蔵公望や矢次一夫らによって設立された国策研究会については、昨年8月8日に少し言及したところである。『国史大辞典』では、昭和期の有力な政策研究立案グループの一つで、第二次世界大戦後一時新政研究会として活動したが、昭和28年国政研究会として…

日本文学報国会理事辰野隆

櫻本富雄『日本文学報国会』(青木書店)を見てたら、昭和17年6月に設立認可された社団法人日本文学報国会の設立時の役員は、会長 徳富蘇峰 常務理事 久米正雄 中村武羅夫 理事(15人) 柳田國男 菊池寛 下村宏 折口信夫 窪田空穂 辰野隆 ら 辰野は設立時の理…

辰野金吾・隆一族の謎(その2)

谷崎潤一郎の養女恵美子が、観世榮夫と結婚する前に見合いをした一人が星新一だったことは昨年5月8日に言及したところである。もう一人、辰野の親戚とも縁談の話があったらしい。谷崎の昭和26年10月25日付け和辻哲郎宛書簡によると、 大兄も御存知の筈の○○○○…

辰野金吾・隆一族の謎(その1)

辰野隆が、今マイブーム。 東京駅などの設計で知られる辰野金吾とその子であるフランス文学者の隆は、「日本の有名一族」とするには、一般的な知名度は低いか。それでも、一族には結構著名な人がいる。隆の姉須磨子はビタミンの鈴木梅太郎夫人、また妻久子の…

神代の如く神多し

猫猫先生がブログで小説の連載をするかと思えば、ma-tango氏は太霊道に関する論文を連載。この太霊道が日の出の勢いだったという大正6、7年頃は、色んな神さんが活躍していたらしい。宮武外骨の『スコブル』第12号(大正6年10月1日)によると、 ▲今は神代…

石田幹之助と宮本百合子

『日本古書通信』2月号に八木福次郎「愛書家・思い出写真帖38 石田幹之助先生」が載っている。 宮本百合子が荒木百合子だった時代に、夫の荒木茂が古代ペルシャ語の研究者だった関係で、百合子は私好みの人間に出会っているが、石田幹之助もその一人。百合…

 伊上凡骨と斎藤茂吉の喧嘩

伊上凡骨の名前を見かけることは、ほとんどないのだが、たまたま斎藤茂吉の書簡中に発見。「北方人」日記さんは既にご存知かしら。大正10年10月16日付け杉浦翠子宛書簡(『斎藤茂吉全集』第33巻)によると、 ○「あらたま」の口絵、おもふやうに行かず、閉口…

後藤新平の秘書小野法順

『正伝・後藤新平』第8巻に後藤新平の秘書として小野法順という人が出てくるのだが、まさか谷崎ゆかりの元坊主の小野法順のわけはなかろうと思い込んでいた(昨年9月29日参照)。ところが、既に細江光先生が小野に関する文献を紹介していた。 「谷崎潤一郎…

 萩原朔太郎と谷崎潤一郎の妻千代

谷崎潤一郎の妻千代に言及した書簡がどこかにあったはずだと思って探したら、ようやく見つかった。 萩原朔太郎の北原白秋宛大正4年6月5日付け書簡*1によると、 谷崎潤一郎氏の新夫人は昨年まで前橋の花柳界にて初子*2と名乗り第一流中の第一位の美妓として名…

 英文学者澤田卓爾の経歴

澤田卓爾の経歴が判明。猿渡重達「季刊「日本橋」第1号〜第4号内容細目 前編」(『聖マリアンナ医科大学紀要』第30号、2001年5月)によると、永井荷風・谷崎潤一郎・佐藤春夫・泉鏡花らが監修した季刊『日本橋』創刊号(昭和10年5月)に澤田が「毛抜鮓」を執…