『日本古書通信』2月号に八木福次郎「愛書家・思い出写真帖38 石田幹之助先生」が載っている。
宮本百合子が荒木百合子だった時代に、夫の荒木茂が古代ペルシャ語の研究者だった関係で、百合子は私好みの人間に出会っているが、石田幹之助もその一人。百合子の日記によると、
大正11年11月6日 夜、モリソン・ライブラリーの石田氏来。若い人で、おそろしく能弁な人。中央アジアの研究に趣味を起って居るらしく相当に絵画の理解もありライブラリアンらしいもの知りである。然し喋られること、喋られること!Aはさぞたまらなかったろうと苦笑。珈琲をのんだのでつづいたとあとで笑った。
「A」が荒木茂。この時、石田は東洋文庫の前身モリソン文庫の主任であった。
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