猫猫先生がブログで小説の連載をするかと思えば、ma-tango氏は太霊道に関する論文を連載。この太霊道が日の出の勢いだったという大正6、7年頃は、色んな神さんが活躍していたらしい。宮武外骨の『スコブル』第12号(大正6年10月1日)によると、
▲今は神代の如く神多し
池袋の神様岸本可賀美の外、田中守平は太霊道と称して大山カンを張り、水野お龍と云ふ女も自ら神と称して、至誠殿と云ふ会場を設け、多くの病的男女を引寄せて居り、天開道眞は備前で愛の山と称して愚夫愚婦を釣り、酒井勝軍は東京市外の角筈で自称神様に成り済まし、宮崎八百吉(湖處子)といふ文士をも帰依者の一人に引入れて居ると聞く
酒井まで神様になり、宮崎湖処子が信者だったとは・・・
(参考)大正6年6月、酒井は「日本讃美団」(明治39年1月創立の「讃美奨励会」を大正4年に改称)を「国教宣明団」に改称しているが、この団体における活動のことだろうか。
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昨日はNHK教育で佐伯順子「明治美人帖」見ますた。和服姿はあまり似合わない感じ。でも、何ヶ月か前の朝日新聞の写真は素敵でした。
追記:小谷野先生の御教示により、正しくは昨年11月7日の日経新聞(夕刊)「「注目されたい」セレブブーム」と判明。
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