神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 バハイ教徒アグネス・アレキサンダーとその時代


盲目の詩人エロシェンコは、中村屋サロンの一員で、全集もあり、また中村彝(つね)による肖像画でよく知られていると思うが、彼と親しかったアグネス・アレキサンダーについては、まったく知られていない。日本バハイ協会の代表であった女史については、既に昨年8月13日にこのブログでも登場している。その後、幾つかの発見があったので報告しておこう。


宮本百合子の日記に、

大正11年11月23日 ミスアレキサンダーの処へ行き、バハイの話をする。何でも彼でも、ハビ誰々が斯う云った、と云う引証して物を話すのを見、深い感に打れた。


    12月12日 Aの熱、今日は殆ど高低なくつづく。しきりにバハイズムのことを書いて居る。


    12月14日 A平熱、すっかりバハーイズムをすませて送り出したよし。


百合子は、石田幹之助3月6日参照)だけでなく、バハイ教徒のアレキサンダー女史とも接触していたのだね。夫の荒木(日記中の「A」)の方はペルシャ語の研究者だから、接触していても全然おかしいことはなく、日記の12月分で書いているのは、大正15年6月に刊行された『哲学大辞書(追加)』(同文館)の原稿のことで、「宗教学」の部に「バハーイ教」、「バービーイズム」や「スーフィズム」などの項目を執筆している*1


アレキサンダー女史については、ありがたいことに『日本エスペラント運動人名小事典』に記載があって、それによると、1875年生、1971年没。1914〜1938年、1950〜67年の二回、日本に滞在しているという。女史の日本における活動を調べれば、驚くべき発見があるのではなかろうか。


妻百合子と共に荒木もアレキサンダー女史と接触したことは確実と思われるが、その荒木は、『世界聖典外纂』に「ミトライズム」、「摩尼教」、「スーフイーズム」を執筆。こうなると、同書に「バハイ教」を執筆している松宮春一郎も女史と接触している可能性が高い。安藤礼二氏が言うところの、高楠順次郎を中心とするネットワークともつながってくるわけである。


(参考)荒木茂は、百合子の二人目の夫宮本顕治に比べると知名度は格段に落ちるが、伝記としては大野延胤『風の如くに 荒木茂の生涯』がある。同書では、荒木の世界聖典全集への執筆について、「高楠順次郎の勧めによるものであろう」と推測している。また、鷹谷俊之高楠順次郎先生伝』には高楠が「大正九年または八年の末頃、松宮春一郎の請を容れて世界聖典全集刊行会の相談相手になっ」たことが記されている。

*1:大野の書による。