最初の露探容疑者長田秋濤が訴えた裁判の判事早川早次と、市島春城の接触については、昨年10月9日に言及したところ。市島の回想に驚くべきことが書いてあった。
「豪快児長田秋濤」(『余生児戯』冨山房、昭和14年11月)によると、
(前略)不謹慎と放縦は彼の欠点で意外の冤罪を招いた。それは露探の嫌疑で法廷の審問を受けたことである。法廷の係り判事は偶然自分の門下生格の人であつたから、自分は百方秋濤の冤を弁じた。この嫌疑の次第は別に確たる事実があつた訳でなく、秋濤が意外に金廻りのよいのは、或は露国公使館あたりから貰つたのではないかといふ位のことであつたと思ふが、不思議に此事がやかましい沙汰となり、係り判事は自分の弁明に一応服しながら或る夜上官から特別の訓令があるので有罪と認定することが已むを得ないといふてきたので自分は一驚を喫したが、今になつても此謎は解き兼ねてゐる。
正確には長田が有罪になったわけではなく、長田が告訴した権藤震二が無罪になっただけだが、上官からの訓令で判決内容は決まっていたのだね。
ちなみに、早川は東京専門学校邦語法律科を明治18年卒業。いくら、市島が恩師とはいえあれこれしゃべっちゃいけないね。
追記:市島は東京専門学校において明治18年9月から19年5月まで政治原論、論理学、英語を講義。早川は直接には講義を受けていなかったか。
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小谷野敦『リアリズムの擁護−近現代文学論集』(2008年、新曜社)のあとがきによると、小谷野先生の母堂は昨年暮れに亡くなられていたという。ご冥福をお祈りします。