神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

辰野金吾・隆一族の謎(その1)


辰野隆が、今マイブーム。
東京駅などの設計で知られる辰野金吾とその子であるフランス文学者の隆は、「日本の有名一族」とするには、一般的な知名度は低いか。それでも、一族には結構著名な人がいる。隆の姉須磨子はビタミンの鈴木梅太郎夫人、また妻久子の姉しげは法学博士山田三良夫人である。更に、書誌学者島田翰歌人川田順らとも親戚であることは、昨年8月20日参照。系図マニアの小谷野先生には是非一族の系図を作成していただきたいところです。


ところで、宗教人類学者古野清人は「わが宗教学事始め」(『宗教人類学五十年』耕土社、1980年5月)で次のように語っている。

吉村(英朗) おつき合いの範囲は宗教学関係に限らなかったのでしょうね。


古野 何しろ文科では、仏文学は辰野隆教授が留学から帰られたころ、独文学は茅野蕭々さんあたりがいたころですからね。仏文学の後藤末雄さんともいつしか親しくなり、卒業後、一時慶応の非常勤講師になって後藤さんと同僚になったりしました。私と同県人だった関係で知り合った豊島与志雄さんはフランス語講師で大学へ見えてましたが、先生のお勧めで史料編纂所の翻訳の仕事をやったりしました。面白かったのは辰野先生の親戚で当時大学の図書館にいたフランス文学の山田珠樹さんで、本郷の山田家を訪れると、家には大きなすばらしい書庫があって私など驚嘆するばかりでした。心理学の本を借りて読んだりしていたが、いつかよい本を十冊ほど頂戴したこともあった。懐しい思い出ですな。

古野は大正10年3月第三高等学校仏法科卒、15年3月東京帝大文学部宗教学宗教史学科卒、昭和3年3月同大学院修了。辰野の帰国は大正12年3月。
辰野と山田が親戚だったというのは、俄かには信じがたいが、どうなのだろう。

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戦前のトンデモない図書館員(公立図書館司書)を発見したかもすれないだす!