神保町系オタオタ日記

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 伊上凡骨と斎藤茂吉の喧嘩


伊上凡骨の名前を見かけることは、ほとんどないのだが、たまたま斎藤茂吉の書簡中に発見。「北方人」日記さんは既にご存知かしら。

大正10年10月16日付け杉浦翠子宛書簡(『斎藤茂吉全集』第33巻)によると、

○「あらたま」の口絵、おもふやうに行かず、閉口中、先生の「非水図按集」の木刷印刷の職工は何といふ人にや、御知らせ願はれまじく候や。実は凡骨を小生は怒りて、やめさせ、今後も一生凡骨を頼まぬ覚悟ゆゑ、誰か、いゝ職工が必要と存じ候ゆゑに御座候。


凡骨が挿絵(木下杢太郎「五月末」)の印刷を担当した茂吉の『あらたま』は、大正10年1月春陽堂から刊行。凡骨と茂吉の喧嘩は、増刷分をめぐる喧嘩だろうか。