神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

天下之奇人山田一郎と長澤雄楯


奇人にしてジャーナリストであった山田一郎というと、黒岩さんの好きそうな人物だが、わすも高島俊男『天下之記者 「奇人」山田一郎とその時代』(文春新書)を立ち読みしてみた。催眠術に関する著作もある掛川病院長の山崎増造(一昨年7月12日参照)が出てくる。明治27年5月に山田の痔疾の手術をしたり、38年5月に亡くなる前の3月末頃、たまたま上京していて診察をしたりしている。山崎との関係も面白いのだが、同書が主として参考にした薄田斬雲『天下之記者 一名山田一郎君言行録』(実業之日本社明治39年5月)にはもっと凄い名前が出てくる。

明治卅五年七月山田君は又もや飄然として駿河国安倍郡三保の松原に来り(略)然るに此の御穂神社々司長澤雄楯氏は十余年前には君と共に旅行もし、演説もして、共に遊楽を倶にした莫逆の友であつたから山田君は屡々氏の寓を訪ひ(略)(長澤雄楯氏寄送)


「君」は山田のこと。天下之記者山田一郎と長澤雄楯は莫逆の友であった。


(参考)山田の親友市島春城の日記で彼の最期を見てみよう。

明治38年5月27日 午餐中、学校より急使あり、山田一郎危篤なりと。即ち趨セて行けば既に絶命し居れり。時に午後一時也。附添人之語る処に依れば全く瞑したるは十二時十分頃と云ふ。尚一昨日来の模様を聞くに、一昨夜下血ありしも容体は寧ろ快よき方にて食事も昨日はすゝみたるなりと。然るに今日午前十時頃より困睡の状態にて身体を検セしに血管破裂し居る模様あり、間もなく瞑目セりと云ふ。来会之友人と事後の事を協議し、広島より親族の来るを待ち葬式の日を定むるに決し、差当り親近のものへ急報を為す。人生如朝露、誰れか山田が余に先ち死すと思ハン哉、嗚呼嗚呼。

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今枝由郎『ブータンに魅せられて』(岩波新書)が出てた。国立図書館顧問をしていたということで図書館ネタもあるだすよ。