戦時下の日独間の連絡手段確保のためにドイツに派遣された伊号潜水艦については、吉村昭『深海の使者』に詳しい。
これによると、伊号第八潜水艦に便乗して帰ってきた*1のメンバーの中にドイツ駐在大使館付海軍武官横井忠雄少将、伏下哲夫主計中佐の名前が見える。
彼らの名前を人間グーグル(笑)のオタどんが検索してみると、幾つか見つかった。
大蔵公望の日記では、
昭和19年1月27日 一ニ時、国研主催にて最近ドイツ潜水艦により帰朝の伏下海軍中佐のドイツ現状談をきく。最近、野村海軍中将、佐竹陸軍中佐、牛場外務書記官の話に次で今日聞くのは第四回目だが何れもドイツ内部崩壊の恐れ全くなしとの結論にて心強し。
天羽英二の日記には、
昭和19年1月27日 夜 官舎ニテ独逸ヨリノ新帰朝者 横井海軍少将ヲ中心ニ独逸問題研究 次長 部長 課長
矢部貞治の日記では、
昭和19年1月26日 日本書紀を読んで時間を超過し、四時半に出かけて後藤隆之助氏のところに行く。最近独乙から帰った伏下海軍主計中佐と有沢広巳氏とが一緒で、稀有の御馳走になった。(略)伏下中佐は嘗つて大学で僕らの講義も聴いた由。扇中佐*2と同期で、昭南で扇さんと会って扇中佐は独乙へ、伏下中佐は日本へと摺れ違ったのだとの事。而も現在は海軍省の調査課にゐるとの事だ。
伏下は、東京帝国大学経済学部に昭和6年4月から9年3月まで派遣されたエリート。同時期(5年4月〜8年3月)に陸軍からは鈴木庫三が文学部に派遣されていた。伏下は、戦後『経済学』(八幡大学法経学会、1961年)を出してるみたい。
(参考)「書物蔵」。軍歴については、秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』を参考にした。
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アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』は同名の映画の原作ではなく、ノベライゼーションだったと記憶していたが、ウィキペディアを見るとそういう単純なものではないみたい。
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