神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

戦時下の日独図書交流?

国際文化振興会について、岡村敬二氏は『遺された蔵書』で次のように記している。 国際文化振興会とは知的協力国際委員会および「対支文化事務局」を源流として昭和九年四月に設立された財団で、中国だけでなくアジアや欧米各国に対して広く文化事業をうけ持…

水野梅暁本を狙う(その2)

水野は、藤澤親雄とも一時期行動を共にしたようで、阿部洋『「対支文化事業」の研究』(汲古書院、平成16年1月)にも、「東亜文化協議会」*1設立の関係で登場する。 日本側では特務部の意をうけた藤澤親雄(大東文化学院教授)および水野梅暁の斡旋で、貴族…

水野梅暁本を狙う

森銑三の『読書日記』(『森銑三著作集続編』第14巻所収)には、前から気になっている記述がある。 昭和8年6月24日 夜水野梅暁氏の「満洲国図書館の保有せる文化的資料と其の価値」を読む。奉天文溯閣の『四庫全書』の無事なりしことまづ悦ぶべし。 この水野…

未來社創業者西谷能雄の謎(その2)

国民精神文化研究所の所員であった志田延義や山本饒とは異なり、格下の助手であったためか、堀は戦後公職追放を免れ、昭和25年以降國學院大學、東北大学、東京大学、成城大学の教授を歴任。次に、未來社の創業者西谷能雄について、見てみよう。 西谷能雄(に…

未來社創業者西谷能雄の謎(その1)

未來社というブランドからイメージされるのは、丸山真男、宮本常一。 そのブランドから、古本本が刊行されるというから画期的といえば画期的、異色といえば異色。 向井透史『早稲田古本屋街』がその本だが、既に販売されているみたいだけど、まだ私は見てい…

ブータンの神保町系女子

ジュンク堂書店のPR誌「書標」9月号は、「文化系女子」特集。 文化系女子なる言葉がはやりらしい。神保町でも女性の活躍が目立つ。 女性古書店主や、古書展めぐりをする女性、はたまた「女エンテツ」さんも・・・ そこで、これらの女性を「神保町系女子」と…

寺田寅彦と謎の本郷カフエー

『日本の名随筆別巻3 珈琲』中の寺田寅彦「コーヒー哲学序説」*1によると、 ドイツに留学するまでの間におけるコーヒーと自分との交渉についてはほとんどこれという事項は記憶に残っていないようである。(略) 西洋から帰ってからは、日曜に銀座の風月へよ…

青弓社の復刊選書

青弓社の復刊選書で、一柳廣孝『催眠術の近代日本』と田中聡『健康法と癒しの社会史』を見る。 確か、どちらも黒岩比佐子さんの『『食道楽』の人 村井弦斎』の参考文献*1だったし、私も好きな本である。復刊はいいことだけど、「中身が読めたらいい」派の私…

慶應義塾図書館のトンデモ図書館員井上芳郎と柳田國男

慶應義塾図書館が、戦前うっかり採用してしまったトンデモ図書館員井上芳郎(7月8日参照)については、書物奉行氏により「スメル学図書館員」と名づけられたが、な、なんと柳田國男の『炭焼日記』に登場していた。 昭和19年5月13日 大東亜[会]館にて学術協会…

靖国神社宝塚化計画

昭和21年、靖国神社アミューズメントパーク化計画があったことについては、坪内祐三氏の名著『靖国』に記されているところである。浅草オペラやレビューの影の仕掛け人内山惣十郎なんて人も関与していたらしい。 同書には書かれていないが、『小林一三日記(…

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎

最終章 シュメールの黄昏(承前) 7 大文豪と小島威彦・原智恵子 小島威彦の自伝には、もう一人大文豪も登場する。某文豪が、妻の末妹にピアノを教えてほしいので、ピアニスト原智恵子を紹介してほしいと、小島に依頼するのである。この文豪と小島がいつ、…

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎

最終章 シュメールの黄昏(承前) 6 上林暁と小島威彦が目撃した山田順子 戦前は、スメラ学塾や戦争文化研究所、世界創造社、日本世界文化復興会を創設し、戦後は、クラブ関西、クラブ関東の設立に奔走した小島威彦。軍人や財界人、同僚である国民精神文化…

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎

最終章 シュメールの黄昏(承前) 5 国民精神文化研究所所員吉田三郎の謎 国民精神文化研究所歴史科の所員兼興亜練成所練成官であった吉田三郎は、スメラ学塾の講師を務めたり、佐藤卓己 『言論統制』によれば講談社の顧問になるなど志田延義同様積極的な活…

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎

最終章 シュメールの黄昏(承前) 4 弘文堂と国民精神文化研究所所員山本饒 国民精神文化研究所助手、所員を務めた山本饒の公職追放該当事項は「著書」。具体的にどの著書が該当するのか不明*1であるが、どのような人物であったかある程度判明した。 小島威…

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎

最終章 シュメールの黄昏(承前) 3 国民精神文化研究所所員志田延義の記憶の片隅 小島の著書『世界創造の哲学的序曲』の出版記念会については、6月30日に言及したところであるが、小島自身は自伝『百年目にあけた玉手箱』第2巻で次のように回想している。 …

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎

最終章 シュメールの黄昏(承前) 2 スメラ学塾とスメラ民文庫 鈴木庫三(佐藤卓己 『言論統制』)はともかく、「クラブシュメールって?」という人は、4月15日、22日、23日あたりを見ていただきたい。また、スメラ学塾についいては4月21日を参照。 スメラ…

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎

最終章 シュメールの黄昏 今月号の「彷書月刊」の執筆者に坂倉準三の妻ユリの名前があって驚いた。クラブシュメールの関係者で健在の方がまだいたとは。ということで、ほっておいたこのシリーズの最終章をアップすることにした。 1 海後宗臣と国民精神文化…

明治堂書店主三橋猛雄の結婚

反町茂雄のライバル、明治堂書店の三橋猛雄については、青木正美『古本屋奇人伝』に詳しいが、同書にも書かれていない三橋の結婚披露宴についての記述が、吉野作造の日記*1にあった。 昭和3年1月13日 午後明治堂主人の依嘱にかゝる原稿*2を草す 昭和6年12月2…

カフェーパウリスタとおとわ亭の時代

『珈琲』*1を飲んでいたら、いや、読んでいたら、おとわ亭に出会った*2。 私が宇野浩二等とカッフェエを歩きまわったのは、それから大分後の事になる、鴻の巣に青い酒、赤い酒を飲んだ連中がカッフェエ第一期生とすれば、我々はさしずめ第二期生と呼ばれるの…

中山太陽堂を2週間で逃げ出した画家

中山太陽堂については、浜崎廣『女性誌の源流』に、 この『婦人世界』を支えていた広告*1は、創刊号(明治39年)から第10巻(大正4年)までは津村順天堂。第11巻(大正5年)から最終の第28巻(昭和8年)までは中山太陽堂*2であった。 とあり、『婦人世界』を…

毛利宮彦米国留学の陰に朝河貫一あり

坪内逍遥の日記によると、 明治45年9月11日 毛利の後家(おかぎ妹)倅の事にて来る 明治45年10月11日 毛利生来 明治45年10月24日 毛利生の母来 大正3年12月21日 毛利生来 ライブラリヤン修行の件に付 大正4年4月16日 朝河よりLibraryに関する件 くはしく知ら…

神保町カフェブラジルに書痴二人

林哲夫氏の『喫茶店の時代』には、神田神保町桜通りのブラジルのマッチラベルの写真が掲載されているが、戦前のある日、このカフェブラジルに、書痴二人が会した(ただし、両者が同一の喫茶店という絶対的根拠はない)。 斎藤茂吉の日記によると、 昭和4年8…

日露戦争勝利のあとの図書分配

日清・日露戦争期の図書略奪かと思われる事例を幾つか紹介したけれど、早稲田大学図書館も無関係ではなかったようだ。市島春城の日記(『早稲田大学図書館紀要』第42号、1995年12月)によると、 明治42年3月18日 加藤万作来り、海軍省より、日露戦役中旅順ニ…

プラトン社の終焉と斎藤茂吉

プラトン社と坪内逍遥については、8月23日に紹介したけれど、同社は斎藤茂吉の日記にも登場する。 大正14年2月16日 女性ノ清水氏ニ原稿*1ワタス 大正15年1月12日 女性ノ清水彌太郎来り。「現代百人一首」*2ヲ選ベト言フ。晶子ガ自派ノモノ35首エラビ、信綱ガ…

中村古峡の変態心理談話会

ついでに中村古峡ネタを。 三田村鳶魚の日記(『三田村鳶魚全集第26巻』)によると、 大正13年5月14日 北野*1氏、中村古峡氏同道、来十七日自宅談話会へ出席を求む、林*2氏へも同様との事なり、車人形のことあれば明答なりがたきよし申聞ける。 大正13年5月1…

「大阪人」廃刊の危機から一転、市直営へ

読売新聞の記事によると、来年度から「大阪人」が市の直営になるそうな。 廃刊もとりざたされたそうだが、まずは一安心か。でも、公務員の発想では、「古本愛」みたいな特集を引き続きしてくれるかすら・・・

吉野作造の見た私立函館図書館

吉野作造の日記(『吉野作造選集第14巻』所収)に、 大正11年9月13日 早朝小樽にてたまのと落ち合ひ函館に着きしは昼過なり(略)此日は図書館の岡田健蔵君の好意により古本屋をたづね五稜郭を見物す 夜は中村古峡君の講演ありといふを聴きに行く 大正11年9…

島田翰と静嘉堂文庫

明治40年から明治41年にかけて、市島春城の日記には朝倉無声とともに、島田翰の名前が頻出する。その一部を引用すると、 明治40年11月29日 島田翰来話。 明治40年12月1日 島田翰ニ書を投す。 明治40年12月13日 島田翰(略)の書到る。 明治40年12月18日 不在…

伝書鳩班にいたのらくろ

マンガの中で伝書鳩を見た覚えがあるが、もしかしたら「のらくろ」だったのかもしれない。 『のらくろ一代記 −田河水泡自叙伝』によると、大正10年、22歳の田河は、陸軍一等兵として軍用鳩通信班に配属されるが、その時の中隊長の命令。 第十九師団軍用鳩研…

生方敏郎のユーモア雑誌

坪内逍遥の日記によると、 昭和3年12月6日 午後 生方敏郎のユーモア誌のためにFalstaffの或る一場抄の前書を艸す 昭和5年6月4日 生方敏郎来、山田案によりて、拠金し ユーモア雑誌を出す計画いかゞかと問ふ、賛成と答へおく(一口壱円の案也) 生方の個人雑…