明治40年から明治41年にかけて、市島春城の日記には朝倉無声とともに、島田翰の名前が頻出する。その一部を引用すると、
明治40年12月19日 島田翰来訪、自著皕宋楼蔵書源流考一巻を贈らる。
明治41年6月1日 静嘉文庫の北沢隆八より岩崎家皕宋楼図書購入の仕末書を送り来る。
明治41年6月9日 晩間、杉山三郊、島田篁村*1遺書売却云々ニ付来話。
陸心源の旧蔵書は、島田の仲介により、明治40年6月に十万巻が静嘉堂文庫に納まったという(高野静子『続 蘇峰とその時代ー小伝鬼才の書誌学者島田翰』)が、島田が市島に贈呈した陸心源の自筆草稿は、はたして島田の正当な所有物であったかどうか。