神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎


最終章 シュメールの黄昏(承前)


3 国民精神文化研究所所員志田延義の記憶の片隅


小島の著書『世界創造の哲学的序曲』の出版記念会については、6月30日に言及したところであるが、小島自身は自伝『百年目にあけた玉手箱』第2巻で次のように回想している。


昭和十一年正月、丸の内の明治生命保険の地下室でその出版記念会が催された。三木清が発起人を代表し、三枝博音佐々弘雄、本荘可宗や仲小路彰、斎藤晌、戸坂潤、戸田三郎、樺俊雄、唐木順三、志田延義、山本饒らが集って、僕のインド、アフリカへの旅を激励する会でもあった。


ちなみに、佐々弘雄は初代内閣安全保障室佐々淳行の父。シュメールとは無関係だったけどね。


戦後、公職追放された国文学者志田延義の国民精神文化研究所に関する回想(『歴史の片隅から』所収)には、


統制経済論を展開せられた経済学の兼任所員の作田荘一博士が建国大学副総長になられると、T君は同大学の助教授として赴任した。同じく倫理学(道義)の兼任所員西晋一郎博士が建国大学名誉教授に名を連ねておられた関係であろう、続いて老子のK君が同大学に赴任したが、満洲国崩壊直後妻君と娘を遺して不帰の客となった。アリストテレスのK君は、海外の様々の土地を巡って帰ると所外で政治哲学的なはでな啓蒙活動を始めた。史学・国史の兼任所員西田直二郎博士の下で助手を勤め所員となったY君は、興亜練成所の設立に参画し進んで同所の練成官となり、応召して南の戦場で戦死した。


この中で「アリストテレスのK君」は、卒論のテーマがアリストテレスであった小島で間違いなかろう。既に述べたように、志田はスメラ学塾の講師を何度も務め、『言論統制』によれば講談社の顧問でもあったから、小島のことを揶揄する資格はないであろう。


志田は昭和5年東京帝国大学文学部国文学科卒。戦後、山梨大学鶴見大学の教授。平成15年8月没、享年97。