神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

プラトン社の終焉と斎藤茂吉

プラトン社と坪内逍遥については、8月23日に紹介したけれど、同社は斎藤茂吉の日記にも登場する。


大正14年2月16日 女性ノ清水氏ニ原稿*1ワタス


大正15年1月12日 女性ノ清水彌太郎来り。「現代百人一首*2ヲ選ベト言フ。晶子ガ自派ノモノ35首エラビ、信綱ガ他派モ少シモ[ママ]マゼテ45選ビ残ルトコロ20首ノミ也。コレハ実ハ失敬ナヤリ方デアルガ兎ニ角26日ノ朝マデニ引受ケテオイタ。


昭和3年1月13日 「女性」記者、募集歌稿ヲ持チ来リタリ。


昭和3年1月14日 午後ニ女性ノタメニ歌*3ヲ選ブ。


昭和3年1月19日 女性ノ選歌ノノ[ママ]タメニ一枚ヲ書キ


昭和3年2月23日 午食後ニ「女性」ノ歌ト「講談倶楽部」ノ選歌トヲ大体ナシ


昭和3年3月15日 土屋君ニ「女性」ノ歌ノ予選ヲタノム。


昭和3年3月19日 プラトン社ヨリ選歌料30yen持ツテ来タ。三十分バカリ話ヲシタ。


昭和3年3月22日 アララギ発行所ニ行ツテ「女性」ノ歌ノ選ヲシタ。土屋君トイロイロノコトヲ話シタ。


昭和3年5月号がプラトン社発行『女性』の最終号であった。茂吉は、その最後を見届けたことになる。

*1:『女性』大正14年4月特別号掲載の「癡人の癡語」と思われる。

*2:『女性』大正15年3月号掲載の斎藤茂吉選「現代百人一首(下)二十首」と思われる。

*3:以下の日記の記述は、『女性』昭和3年3月号、4月特別号、5月号掲載の斎藤茂吉選「青季集」関係と思われる。