坪内逍遥の日記によると、
昭和3年12月6日 午後 生方敏郎のユーモア誌のためにFalstaffの或る一場抄の前書を艸す
昭和5年6月4日 生方敏郎来、山田案によりて、拠金し ユーモア雑誌を出す計画いかゞかと問ふ、賛成と答へおく(一口壱円の案也)
生方の個人雑誌「ゆもりすと」は、昭和2年2月創刊で3号まで発行されたようだが、昭和3年12月に坪内が書いたものはどうなったのだろうか。
また、昭和5年のユーモア雑誌の計画の方は、生方が昭和10年8月から発行する「古人今人」までは時間が空きすぎているので、この雑誌の計画は計画で終わったとみるべきか。