『珈琲』*1を飲んでいたら、いや、読んでいたら、おとわ亭に出会った*2。
私が宇野浩二等とカッフェエを歩きまわったのは、それから大分後の事になる、鴻の巣に青い酒、赤い酒を飲んだ連中がカッフェエ第一期生とすれば、我々はさしずめ第二期生と呼ばれるのが至当だろう。第一期生が盛んに横行していた頃には、我々は神田の食道楽音羽亭あたりで、当時八銭だったカツやハムライスに、相当に幸福を感じていた。(略)
その中に、いつか我々も小説を書くようになり、原稿料が這入るようになると、音羽亭やパウリスタだけでは満足できなくなり、銀座の表通のカッフェエにそろそろ進出し始めたのである。
省略した箇所に本郷西片町にあった宇野の家に同居していたとあるので、広津の年譜によると、大正4年〜5年の頃と思われる。価格や店名の表記は例によってあまりあてにしてはいけないかもしれない。
カフェーパウリスタは、よく見かけるが、おとわ亭もまだまだ見つかるかも。