林哲夫氏の『喫茶店の時代』には、神田神保町桜通りのブラジルのマッチラベルの写真が掲載されているが、戦前のある日、このカフェブラジルに、書痴二人が会した(ただし、両者が同一の喫茶店という絶対的根拠はない)。
斎藤茂吉の日記によると、
昭和4年8月4日 早朝ヨリ、改造社ノ橘氏ト茅ヶ崎ノ斎藤昌三氏ヲ訪ヒ、古書、雑誌ヲ借覧ス
昭和4年12月27日 神田ノカフエブラジルニ斎藤昌三氏橘氏ト会ス。ソレヨリ銀座ノカフエニ行キテドイツ麦酒ヲ飲ム
昭和4年12月28日 昨夜ノ麦酒ノ加減ニテ頭ノ工合ワルシ
この昭和4年12月27日にある事件がおきたようである。というのも、斉藤昌三の『少雨荘交遊録』(梅田書房、昭和23年12月。『斎藤昌三著作集』第5巻所収)で斎藤茂吉との思い出を語った中で、
僕とは『愛書趣味』頃からの知己と思ふが、茅ヶ崎の少雨荘へは、改造社の円本の歌論資料を探しに見えたのが最初で、その時はたしか橘君が案内役だつたと思ふ。以来追々眤懇になつて、或る年の暮には銀座のカフエーを巡廻して、お互ひにビールに酔ひ、自動車で財布を失つた悲喜劇もあつた。
とあるからだ。茂吉は日記に財布を失ったとは書いていないから、財布を失ったのは昌三の方だろうか。