森銑三の『読書日記』(『森銑三著作集続編』第14巻所収)には、前から気になっている記述がある。
昭和8年6月24日 夜水野梅暁氏の「満洲国図書館の保有せる文化的資料と其の価値」を読む。奉天文溯閣の『四庫全書』の無事なりしことまづ悦ぶべし。
この水野梅暁(みずのばいぎょう)の書いた記事(?)って、読んでみたいが出典が不明。水野は、図書館の専門家ではなく、僧侶、ジャーナリスト。東亜同文書院第1期卒業生として著名。
『日本仏教人名辞典』によれば、
明治〜昭和時代のジャーナリスト。浄土真宗本願寺派の僧。
明治10年1月生、昭和24年11月没。
1904東亜同文書院卒、翌年帰国。
雑誌「支那時事」を主宰し、24年「支那時報」を発刊、翌年東京で東亜仏教大会を開き、日中仏教徒の文化交流に尽力
水野は、対支文化事業や日満文化協会(水野は創設に関わり、理事となる)関係で、岡村敬二氏の著作に度々出てくる。
例えば、岡村氏の『遺された蔵書』には、昭和12年11月26日東京倶楽部で開催された国際文化振興会主催の「対支文化工作に関する協議会」の参加者として、外務省文化事業部市河彦太郎、東京帝国大学文学部植田捷夫、江上波夫、海後宗臣、東京朝日新聞社東亜問題調査会嘉治隆一、著述業水野梅暁などを挙げている。