神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

水野梅暁本を狙う(その2)


水野は、藤澤親雄とも一時期行動を共にしたようで、阿部洋『「対支文化事業」の研究』(汲古書院、平成16年1月)にも、「東亜文化協議会」*1設立の関係で登場する。


日本側では特務部の意をうけた藤澤親雄大東文化学院教授)および水野梅暁の斡旋で、貴族院議員で帝国農会会長をつとめる酒井忠正(伯爵)を長とする代表団を組織することとなり、その訪中計画の実現にあたり、特務部が外務省に経費補助を申請、これを機に文化事業部が中心となって軍特務部や臨時政府との連携のもと、本事業を推し進めることとなるのである。


特務部が出てくると、俄然、わしとかダレゾ(「いっしょにすんな!」という声あり)がウキウキしてくるだす。


水野と藤澤は、戦前内務官僚や貴族院議員、戦後は(社)世界貿易センター(日本)会長を務めた松本学の日記*2にも登場する。


昭和10年3月2日 昼食に満洲から出張した品川主計君を丸ノ内会館に招待して伊沢[多喜男](中略)水野梅暁、天羽[英二。外務省情報部長]、藤沢[親雄]の諸君と会談す。監察院次長としての満洲事情を聞く。(中略)江口、水野両氏、文化聯盟に来て孫文十年祭の下相談をする。


同年3月12日 午後一時から孫文慰霊祭を行ふ。(中略)自分が祭文を読む。頭山満広田弘毅両氏も祭文を読む。トーキーに撮影した。これを南京に送る。引続き学術講演会を開く。自分が挨拶して藤沢親雄君が後援す。


戦前、国士として活躍した水野については、掘り起こせば、何か面白そうな事実が出てきそうなので、今秋の古本市では、水野本を拾おうと思っているオタさんでした。


追記:わしが最近調べていることと、書物奉行氏の調べていることが、いつか重なってくる予感はあったが、なんか本当に接点が出てきたような気配がある。


tsysoba氏、kuzan氏の教示により、水野について、新たな情報も得たので、機会があれば、改めて報告する予定。

*1:臨時政府と日本との文化提携の象徴的存在として、外務省文化事業部が中心となり、軍特務部及び在北京大使館の協力により1938年9月に設立。

*2:『松本学日記』(山川出版社、1995年2月)