昭和21年、靖国神社アミューズメントパーク化計画があったことについては、坪内祐三氏の名著『靖国』に記されているところである。浅草オペラやレビューの影の仕掛け人内山惣十郎なんて人も関与していたらしい。
同書には書かれていないが、『小林一三日記(二)』昭和21年4月17日の条に驚くべき記述がある。
八時帰宿すると、九段の靖国神社から神官が来て、待つて居た。私に靖国神社の氏子総代になつて同境内の新施設計画を引受けてくれろといふ申出である。コノ話は復興院総裁在官時代からあつたけれど東京の復興計画に伴ふ靖国神社の新しい理念に基づく国家的経営からの新出発としていろいろと考案して居つたその行きがかりといふよりも、私の独創的立案によつて浅草観音様の境内に鑑み一種特別の成案を得て繁昌せしめ度いからだといふのであるが、私は到底引受ける勇気もなければ、又、既に引退した老人の出る幕でもないので、折角の御厚意を空うしてお断りした。
「日記読みの達人」の坪内氏は、既にこの記述には気づいているだろうか?
阪急グループの創立者が乗り出していたら、浅草というよりも第二の宝塚になっていたかもしれない「聖地」靖国。神保町からは地下鉄一駅分。主義主張に関わらず、一度は「見学」(参拝という意味ではないよ)しておくべきであろう。