最終章 シュメールの黄昏
今月号の「彷書月刊」の執筆者に坂倉準三の妻ユリの名前があって驚いた。クラブシュメールの関係者で健在の方がまだいたとは。ということで、ほっておいたこのシリーズの最終章をアップすることにした。
1 海後宗臣と国民精神文化研究所
昭和7年8月創立された国民精神文化研究所。その当初のメンバーを見ると、
東大教授吉田熊次、広島文理大教授西晋一郎、京大教授作田荘一、学習院教授紀平正美、東大助教授久松潜一のほか、志田延義、小島威彦、藤澤親雄、河村只雄などの名前が見られる。また、スメラ学塾の小島が、五高以来の親友という海後宗臣も当初のメンバーの一人であった。
海後宗臣(かいごときおみ)は、戦後東大教授、日本図書館学会初代会長となる人物*1であるが、研究所のことをその著書『教育学五十年』で次のように回想している。
終戦後になって行われた追放の際に、昭和十二年以降国民精神文化研究所に在任していた所員はすべて公職追放となったということである。私は昭和一一年春に東京大学に転任したので、公職追放のワクに入らなかった。もしこれが延引して次の年にかかっていたならば、私は戦後公職追放となって東大に在任することはできなかったことであろう。
「公職追放に関する覚書」によれば、昭和12年に研究所に在任していただけでは、公職追放に該当するとは解されないが、それはそれとして、該当者名簿からシュメールに関わった研究所の職員を見てみると、
氏名 該当事項
小島威彦 著書
大串兎代夫 大日本言論報国会理事著書
志田延義 国民精神文化研究所編集長
山本饒 著書
国民精神文化研究所の職員ではないシュメールの関係者としては、
中[ママ]小路彰 著書
清水宣雄 著書
深尾隆太郎(深尾重光の父) 南洋拓殖社長
研究所職員であるがシュメールの直接のメンバーではなかったと思われる藤澤親雄は、「翼賛中央本部興亜局庶務部長東亜局庶務部長著書」が該当事項とされている。
また、小島や藤澤の天敵であった島田春雄(島田翰の息子)も「言論報国会理事」として対象となっている。喧嘩両成敗(?)だね。
このほか、シュメールとの関係は不明なるもその周辺に見え隠れする人物としては、増田正雄が「国際政経学会常務理事」、櫻澤如一が「著書」、中山忠直が「著書」とされている。
彼らのうち何人かの戦後について最終章では述べてみよう。