神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

日露戦争勝利のあとの図書分配


日清・日露戦争期の図書略奪かと思われる事例を幾つか紹介したけれど、早稲田大学図書館も無関係ではなかったようだ。市島春城の日記(『早稲田大学図書館紀要』第42号、1995年12月)によると、


明治42年3月18日 加藤万作来り、海軍省より、日露戦役中旅順ニ於テ拿捕せる図書を、貰らひ受くる件ニ付、協議す。


うむ〜、「拿捕」とあるではないか。
早稲田大学の所蔵するロシア関係図書については、本間暁「早稲田大学図書館におけるロシヤ語蔵書の構築(一)」(『早稲田大学図書館紀要』第36号、1992年5月)に詳しい。それによると、


1908年(明治41)10月12日付け図書館事務日誌に「海軍省経理局より魯書寄贈の旨電話」があったとの記述がある。明治42年5月号の『早稲田学報』には『露文図書の寄贈 海軍省にては今回その戦利品なる露文書八百余冊を本館に寄贈されたり、文学歴史の二種類大部分を占めつ、(略)』と記され、同年11月号には更に500余冊が寄贈されたと書かれている。総計1300冊におよぶロシヤ語図書が寄贈されたわけである。日露戦争は1904−5年(明治37、38)のことで、日本の勝利におわったが、この戦争の戦利品としての図書が図書館へ寄贈されたのである。これらの図書が戦闘の最中に捕獲したものであるのか、あるいは賠償の一部として手に入れたものか、また海軍省がどのような理由で早稲田大学に寄贈したのかは不明である。また、早稲田大学のみに寄贈されたものかなど今となってはわからないことも多い。


本間氏が「不明」としたのは、市島の日記の翻刻が公開される前だから仕方がないかもしれない。
ところで、『早稲田大学図書館史』(1990年9月)の明治42年5月の条に次のような「拿捕」とは矛盾する記述がある。


海軍省より日露戦争の償金として得た露文図書800円が寄贈された。文学・歴史が大部分をしめる。後、11月に追加分500冊の寄贈をうけた。

「拿捕」なのか「償金」なのかはっきりさせてもらいたいと私は思うけどね。