昨年12月11日に言及した小松久男『イブラヒム、日本への旅―ロシア・オスマン帝国・日本』に、波多野烏峰が出てた。
それから数年後、イブラヒムの知己の一人、波多野烏峰(一八八二〜一九三六)はアジアの解放を訴える著作『アジア危うし』(オスマン語訳、イスタンブル、一九一二年)の中でこう書いている。
某年、タタール人同志の某氏が来日し、きわめて重要な試みをなされた。民族の独立を回復するために日本政府に支援を求められたのである。氏の考えとはつまり、もし日本政府が真剣にその指導者の役割をはたし、アジアの統一を企図するならば、三〜五年のうちに大きな成功をおさめることができるだろう、というものであった。
これが事実だとすれば、イブラヒムが、日本の主導によるアジアの統一とロシア・ムスリムの独立とを結びつけて議論していたことになる。
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