神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

神戸市立図書館の橋本正治


『横浜開港資料館紀要』所収の「太田宇之助日記」に、戦前の神戸市立図書館の職員が出てくる。

昭和16年9月4日 午前九時半三宮着。池田宅を訪ひ、神戸図書館に石川君等三人を訪ひ、久々にて快談す。


  19年1月28日 時間が余ったので、久々で橋本正治君を市立図書館に訪ひ、時局による図書館の憐れな状態と、之に依存するこの三十年勤続の気毒な老友を憐れに思った。


この橋本君の実在が確認できないが、三十年勤続なら、森清や例の裏川大無(裏川吉太郎。昨年7月25日参照。)の先輩に当たると思われる。


(参考)太田宇之助。明治24年兵庫県網干町(現姫路市)生。昭和9年9月朝日新聞社内に新設された東亜問題調査会中国主査。14年論説委員兼任。昭和15年7月〜16年7月支那派遣軍総司令部嘱託。同年7月〜同新聞中支特派員。18年南京の汪兆銘政府の経済顧問兼江蘇省政府経済顧問に招聘され、退社(同紀要20号の解説より)。

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國文學』6月臨時増刊号「小説はどこへ行くのか 2009」で栗原裕一郎氏(「吟子さん(『ひとり日和』)の家がある駅の名が伏せられているのはなぜか――青山七恵の場所」)が、猫猫先生の発見に言及していた。(参考)一昨年3月11日