神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

西部古書会館で『仏教講義録』第1号(龍谷学会、明治45年)を


 皓星社の古本まつりに合わせて、上京してました。お買い上げいただいた皆様、ありがとうございます。古本道の諸先輩や研究者の方々にもお会いできました。一種の文化サロンですね。皓星社や古書会館でお会いした先輩方には杖をつく方もおられた。また、闘病中とお聞きした方もおられ、私もいつまで古本漁りができることやらという気持になった。私の方は肩の痛みで病院通いの日々だったが、幸いほぼ治った。
 東京古書会館や西部古書会館の古本まつりには、開会2日目の参戦。初日ではなくても、それなりに拾えました。生活がかかってセドリに必死の業者や邪魔者への「殺意」すら感じる蒐書家が紛れ込む初日よりも、2日目の方がゆったりと見られてよいかもしれない(^◇^;)
 さて、画像を挙げたのは西部古書会館で見つけた『仏教講義録』第1号(龍谷学会、明治45年1月初版・同年3月第3版*1)。龍谷大学が仏教大学と称していた時代の講義録である。越後屋書店出品で200円。龍谷大学図書館にも1巻2号~2巻12号のうち不揃い17冊しか所蔵されていない。奥付を挙げておく。

 発行所の龍谷学会については、『龍谷大学三百年史』(龍谷大学出版部、昭和14年7月)831・832頁に次のような記載がある。

(略)明治四十五年正月鈴木法琛・森川智徳・朝倉暁瑞等三講師が発起惣代となり、薗田学長を会長とし、本学諸講師を編輯顧問として組織された会で、一般派内僧侶の智識啓発に資するため、毎月一回『仏教講義録』を発行することを目的とした(略)その初号は一月二十日に発刊したところである。

 「一月二十日」とあるが、正しくは奥付を示したとおり1月25日である。同書の年表大正元年の条では、正しく「一月二五日 龍谷学会発会し、仏教講義録を創刊す」とある。なお、『龍谷大学三百五十年史:通史編上巻』(龍谷大学、平成12年3月)の年表明治45年・大正元年の条で『仏教講義録』の発刊を2月20日(典拠は『教海一瀾』)としているのも、誤りということになる。
 薗田宗恵会長以下の顧問・名誉賛助員・編輯顧問・役員の一覧を同誌から挙げておく。初めて見る人が多いだろう。大谷探検隊に参加した人達の名前が含まれていて、嬉しい。

 ここに名前がないが、奥付で龍谷学会の代表者で発行人とある和歌山の玉置韜晃が気になるので調べてみた。家蔵の『仏教年鑑:昭和十三年版』(仏教年鑑社、昭和13年4月)の「現代仏教家人名録」から要約しておく。

玉置韜晃
明治21年9月10日 和歌山県
大正5年~昭和4年 龍谷大学*2教授
大正11年~現在 臨済宗大学教授
昭和10年4月~現在 本願寺総会所主監
昭和7年~現在 研究科目唯識学顕真学苑にて研究(印度大乗教学)

 これでは明治45年時点の状況が不明である。どこかで拾っておいた森川智徳ほか『森川智徳先生回顧五十年』(森川智徳先生を偲ぶ会、昭和46年9月)を見てみよう。森川「回顧五十年」の第5回で、玉置を大正2年仏教大学卒業者として挙げていた。『仏教講義録』第1号発行時点では、玉置はまだ仏教大学の学生だったことになる。

*1:国会デジコレで見られる『信仰界』25年5号(布教叢誌社、明治45年5月)に載る『仏教講義録』の広告中に「第壱号三版を重ねて」とあるのが、事実と裏付けられる。

*2:大正11年5月に龍谷大学に改称するまでは、仏教大学