神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

杉浦重剛門下の松宮春一郎


杉浦重剛の日記「致誠日誌」にも松宮春一郎なる名前が出てくる。

大正10年4月22日 松宮春一郎氏来談。稍参考トスベシ。


    4月26日 松宮氏来談。参考トスベキモノアリ。


この松宮だが、杉浦の私塾「称好塾」の会誌『称好塾報』(大正13年12月)*1の「塾友名簿」に「府下西大久保四七〇 出版業 松宮春一郎 郷里:三重」とあって、住所が世界文庫刊行会の所在地と一致するので、あの松宮と同定できる。塾友には、入塾して寄宿生活をする「内塾友」と、塾を出て外で生活する「外塾友」があるが、大正13年の時点では、「外塾友」となっている。松宮の他には、巌谷季雄(巌谷小波)、小谷部全一郎、風見章、鹿子木孟郎、藤本尚則、江見忠功(江見水蔭)といった名前がある。また、明治44年12月の同塾報に既に松宮の名前が見えるので、明治35年学習院卒業後、明治末期には杉浦の門下だったことになる。


松宮が杉浦と対談した大正10年は、松宮が世界聖典全集を刊行していた時期(前輯が大正9年1月〜10年3月、後輯が11年6月〜12年8月)でもある。聖典の話でもしたのだろうか。そう言えば、大正9年にはこんな記述もある。

大正9年8月22日 (加賀山氏、波斯人アブダルバハノ経文[英文]一冊送付セラル。亦参考書トスベシ)。(略)(アブダルバハ)ノ経典ヲ渉猟セリ。


杉浦がバハイ教の経典を読んでいたとは驚きますね。

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『大航海』が6月5日発売号で休刊。猫猫論文を載せていても、休刊になってしまうのだ・・・

*1:『回想杉浦重剛』(杉浦重剛先生顕彰会、1984年2月)所収。