武林無想庵が、『サニン』の翻訳をするため、比叡山教王院に籠っていた大正4年。この時、宿坊である社会主義者と出会っている。名前を堀岡良吉といったらしいが、あの本荘幽蘭と関係のある男だった。『むさうあん物語40』によると、
二十四の明大生時代、年上の女新聞記者として有名だった本荘幽蘭女史によって筆下しされたいきさつからはじめ、その時彼は本郷座前に「幽蘭軒」という東京最初のカフエ*1を出して失敗した。そうして、そのいわゆる「旱天に向って号泣する」幽蘭女史の閨中を、興味ふかげに暴露してきかせたりした。
この幽蘭の男性関係については、高田義一郎『らく我記』(昭和3年11月)に、
彼女が平生懐にして居た一冊は『錦蘭帳』と題してあつて、又『夜這帳』とも呼ばれて居た。之は情念投合した男の氏名を止めて置く為に作られたもので、大正六年頃までに既に八十有余の思出の多い名前を録してあつたが、その中で結婚の形式を執つて同棲したもゝの数丈でも已に十八人に上つて居たといふ。
とあって、堀岡の名前も『夜這帳』に挙がっていたかもしれない。また、同書によると、坂本紅蓮洞が幽蘭と親しかったという。幽蘭に食われてしまった堀岡だが、無想庵によると、石川県徳田村の村長の息子で、中学生の頃、『平民新聞』の愛読者で、地方通信などを寄せており、大逆事件関係で堺枯川が家宅捜索を受けて没収された書類の中に、堀岡の手紙が混じっていたため、それ以後、注意人物のリストに載せられてしまったという。もしかしたら、黒岩さんの次作にも登場するかもしれない人物である(んな、わけないか)。
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NHKのテキスト、原武史『鉄道から見える日本』が出てた。
街で噂の『中公新書の森』を入手。「[思い出の中公新書]アンケート」で、小谷野敦氏(比較文学者、作家)は酒井邦嘉『言語の脳科学』、曽村保信『地政学入門』、吉原真里『ドット・コム・ラヴァーズ』を挙げている。その他、中野三敏先生も回答している。また、芳賀徹先生は、佐伯順子『遊女の文化史』を挙げ、「小谷野敦君などは今なおこの佐伯説にからんでいるが、それだけ本書が知的刺激に富むことをPRしてくれてもいるのだろう」と書いている。
*1:「東京最初」というのは明らかな誤りであるが、「幽蘭軒」というカフェには今後も注目。