『看産婦画報』なんていう画報が存在すれば、黒岩さんも知らない(?)画報ということになるかもしれない。
『妹尾義郎日記第2巻』によると、
大正8年10月18日 午後当閣にて看産婦画報社主催、殉難看護婦追悼会を開く。
とあって、「看産婦画報社」なるものが出てくる。社名から言うと、『看産婦画報』の発行もあり得るかと思うが、どうだろうか。「当閣」とは、本多日生が浅草に開設した道場「統一閣」で、妹尾が専任事務を委嘱されていた。「殉難」は第一次世界大戦による殉難と思われる。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
「停留措置」とやらで何日も拘束されたら退屈で死にそうだね。本やパソコンの差し入れはしてくれるのかしら。
誰ぞは「超スピードではがきをめくる」らしい。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
大正11年7月 「尾行」 「11日号」→「10日号」
12年 3月<私語> 文藝春秋
6月<唯ひとりの人> 新演藝
10月<噂する本能> 改造、<二つの型を通じて>→<二つの型を通じて−震災覚書その一>
12月<素人と玄人>演劇新潮→13年1月、<批評地震座役者評判記>新演藝→13年1月
曾根先生の「中村古峡著作年表」に補足。
「子供の虚言を如何に矯正するか」 『主婦之友』大正10年7月号
「媒約結婚の花嫁が夫の愛を得る法」 同上 昭和2年10月号