伝記も年譜もなさそうな仏文学者の山田珠樹。その最期が、神西清の日記に書かれていた。
昭和18年11月24日 この日の午前山田珠樹氏、小坪の療養所に於て急逝さる。廿六日午後東御門の邸にて告別式あり、由里子*1出向きたる旨を後に知れり。先日「仏蘭西中世文学」を贈られ、礼状を未だ差出さざるにこの事あり。痛惜の感、(廿九日追記)
11月28日 山田珠樹氏の長逝を知る、
12月3日 奇遇といふものあり。K君は辰野氏の甥にして、珠樹氏の司書官時代の司書ならんとは、
「仏蘭西中世文学」は正しくは、『中世仏蘭西文学』(六興出版部、昭和18年)。
辰野隆の甥で、東大附属図書館の司書の「K君」は特定できず。
山田は、亡くなる前にフランスでの茉莉との日々を思い出すことはあっただろうか。
(参考)後に吉田健一が鎌倉東御門の山田邸に間借りすることになることについては、「森茉莉街道をゆく」参照。
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佐藤哲朗『大アジア思想活劇』の増補改訂版が出てた。
次は、ma-tango氏の「活劇」の番かすら。
*1:神西の妻百合。