従来大正12年8月とされてきた森茉莉の帰国だが、同年7月以前が正しいようだ。
大正12年7月27日付けと推定される与謝野寛の森潤三郎宛書簡(『与謝野寛晶子書簡集成第二巻』)に、
山田珠樹様御夫婦がめでたく御帰朝になりましたので、千駄木の奥様、電話にて非常に御機嫌よろしくお電話し下さいました。其内小生も山田様に御目に懸りたいと存じてをります。
とある。
この書簡について、同書では文中に山田夫妻の帰朝とあり、夫妻の渡仏は大正11年3月より12年7月までなので大正12年と推定したとしている。従来の茉莉の年譜では、帰朝は同年8月とされており、同書が渡仏期間を同年7月までとしている根拠はわからないが、いずれにしてもこの書簡により、山田夫妻の帰朝は大正12年7月以前だったということになる。もともと8月とする根拠は茉莉の回想*1以外にあったのかしら。
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