神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

黒岩比佐子さんと柴田流星

松崎天民『東京の女』(隆文館、明治43年1月)が発禁になったという噂については、同題の柴田流星『東京の女』(洛陽堂、明治44年9月)が発禁となったこととの混同だと、書物蔵氏によりおおむね確認された。→「坪内祐三氏の「『東京の女』をめぐる謎」の質問に答える(つもりだった)11月5日」及び「書物蔵」参照。
ところで、この柴田だが、岩野泡鳴の日記に、

大正2年9月29日 柴田(流星)氏の死を報ずるハガキ来たる。同氏とは嘗て行き来したが、氏が時事の記者になつてる間に、僕の何でもない事件をおほげさに悪く云ひまわり、一度など僕が時事へ入社問題があつた時に、意外な冤罪を口述にしてじやまをしたと、同社の人から聴いたので、その後訪問もしたことがなく、葬式にも行く気にならない。ありふれた耶蘇教信者に過ぎない。

と出てくる。どういう人物だったかというと、『日本近代文学大事典』によると、

柴田流星 明治12・28・28〜大正2・9・27
小説家、翻訳家、編集者。東京小石川(現・文京区)の生れ。本名勇。中学卒業後、イギリス人について英語を学んだという。巌谷小波の門下、木曜会の一員。時事新報社を経て左久良書房の編集主任となった。

永井荷風塚原渋柿園との共訳などがあるという。また、柴田の『唯一人』(左良久書房、明治42年11月)の「この書に添へて」によると、恩友は田山花袋蒲原有明だといい、田山を紹介してくれた中川恭次郎は星野天知、柳田國男も紹介してくれたという。ところで、この柴田が書いた『伝説乃江戸』(明治44年初版)について、黒岩比佐子さんが「古書の森日記」の昨年11月12日に書いていた。

 発行所は聚精堂。柴田流星の名前は、ついこの前読んでいた本に出てきたので、この本を手に取ったとき、こういう著書があるのか、と思った。それなのにいま、柴田流星について書かれていた本を探そうとしたのだが、どんな本だったのかを忘れている(笑)。最近、こういう物忘ればかりで、本当に情けなくなる。しかも、この『伝説乃江戸』は、どういうわけか国会図書館には所蔵されていないようだ。内容は、タイトル通り江戸にまつわる伝説をまとめたもので、とくに珍しいものでもないのだが…について書いていた。

黒岩さんが失念してしまったという本とは、岩野の日記だったかどうかわからない。私と書物蔵氏のやり取りがあった頃は入院されていて、もうブログを読んでくれてはいなかったと思われるが、黒岩さんがお元気なら、きっと何かコメントをしてくれたことだろう。

と、ここまで書いて重要なことに気がついた。11月6日に言及したが、松崎の『東京の女』の「当世婦人記者」には当時の婦人記者も書かれている。水島幸子と思われる記者のほかには、

中村鈴子(女学世界)、木内錠子(婦人世界)、本荘幽蘭(読売新聞)、菅野須賀子(電報新聞)、小野清子(中央新聞)、岸本柳子(大阪毎日新聞)、磯村春子(報知新聞)、大澤豊子(時事新報)、下山京子(時事新報)、服部桂子(萬朝報)、中野初子(二六新聞)、山内藤子(二六新聞)

があがっている。ある婦人記者について調べていた黒岩さんは、隆文館版かどうかはともかく、確実にこの本を読んでいたはずである。

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週刊朝日』の「書いた人」(10月21日インタビュー)は中川六平氏による黒岩比佐子さんです。

堺利彦は、文字が読めるかどうかわからない人にも伝わる文章を書いてきた人だと思う。書き終えて感無量。いま、ユーモアにあふれた堺から励まされています」