神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

皆川博子さんの父塩谷信男と竹内文献

皆川博子さんの父塩谷信男の弟は、塩谷勉といい、九州大学農学部教授であった。心霊研究家でもあり、『霊は生きている』(地球社、平成元年11月)という著作がある。同書の「私と心霊・五十年前」*1によると、信男は、昭和6年渋谷に内科医院を開業後、西洋医学にあきたらず、生命線療法や生命運動などもやっていたという。そして、

この頃親戚にあたる奈倉次郎という方が、山口高商の英語の教授を定年退職して、東京に「生気運動」の道場を開きました。これは、山口で陸軍少将石井常造氏が始めたという運動で、保健と治病を兼ねたものです。(略)
先の生命運動はこの生気運動に当たります。(略)
何といっても興味深いのは霊能者でした。兄は「生長の家」の谷口雅春さんとも交渉がありまして「生命の実相」の中にも時々出ておりました*2。私には三条比古之(彦之、本名矢野祐太郎)という方が一番印象的でした。これらの霊能者はみな以前に大本教で修行された方ですね。三条さんについては、兄が熊本県の長洲の生き神様といわれた松下松蔵さんの所へ治病の見学に行った時紹介されたそうです。三条さんは鎮魂をよくし、霊視・霊聴の鋭い方でした。/(略)/茨城県東北部の磯原の竹内家に古文書があって、三条さんはこれに傾倒したようです。(略)/また(昭和)七年頃に戻ります。西原敬昌さんも私の心に足跡を印してくれた霊能者でした。三条さんとは仲がよく、もう一人財部海軍大将の女婿(?)とかいう人と、「われわれ三人が居なければ、神政復古は絶対成らぬ」と、豪語していたそうです。

奈倉は、明治5年4月生まれで、アーサー・ロイドらに英語を習い、山口高等商業学校教授となった。塩谷賛『幸田露伴 上』によれば、大正14年にロンドンのGeorge Allen & Unwin Ltdから露伴の『心のあと 出廬』の翻訳書を刊行している。そんな人が、生気運動をやっていたとは・・・。石井常造は、最近どこかのブログで見たような(笑)。

信男は皇道世界政治研究所の発起人だった*3ことから竹内文献の信奉者と思っていたが、矢野祐太郎とつながりがあったのだ。確かに調べてみると、皇祖皇大神宮を顕彰するため、矢野が昭和8年3月に創立した神宝奉賛会の理事の中に信男の名が見える*4。また、松下松蔵の名が出てくるが、佐野眞一氏の『阿片王 満州の夜と霧』の読者はその名を記憶しているだろうか。里見甫が晩年傾倒した祖神道の開祖である*5。ただし、里見がよく出入りしたのは二代目管長が生きていた昭和20年代末から30年代末にかけてのことのようだ。

財部海軍大将の女婿(?)は不明。財部彪の縁戚では、妻いねの従兄である山本英輔が心霊主義者で*6竹内文献の信奉者として有名。

なお、皆川博子さんの生年月日は、『新訂現代日本人名録2002』に、昭和4年12月8日(戸籍:昭和5年1月2日)とあった。『大衆人事録』に昭和6年とあった*7のは、誤植のようだ。

*1:初出は『心霊研究』昭和58年3月号。

*2:谷口雅春『生命の実相第二巻』(光明思想普及会、昭和10年2月)18頁に「東京渋谷の塩谷信男博士は生長の家所説の真理に共鳴して無薬療法を施してゐられる。随分治るので受診者が余り多いので往診を大抵断つて自宅でのみ診療に従事してゐられる」とある。revealこと志水一夫も、2008年12月14日に言及していた(2008年7月27日のコメント欄参照)。

*3:2007年4月13日参照。

*4:『皇祖皇大神宮御神宝の由来』の「神宝奉賛会役員」(『神政龍神会資料集成』所収)。

*5:佐野の書によると、『主婦之友』昭和6年11月号に同誌記者によるルポ「神か人か?活殺自在の霊能者!!長洲の生神様松下翁を訪ふ」が載ったというので、信男が見学に行ったのは、その頃か。

*6:2008年4月9日参照。

*7:11月15日参照。