神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

読売新聞社会部長千葉亀雄が記憶する薄井長梧

「モダン・ガール」を日本で最初に使用した北澤秀一について言及した文献としては、従来「近代的女性批判『婦人の国』座談会」*1における次の発言が知られている。 

久米(正雄) モダン・ガールつて、普通にいふ当り前の言葉だけれども、モダン・ガール、モダン・ガールといひ出したのは、一体誰ですかね。僕の知つた限りでは、北澤秀一が『モダン・ガールの表現』なんていふ本を書いてますね。そして、このモダン・ガールを非常に讃美したりいろいろしてゐたやうですね。
新居(格) 僕らもやつぱり北澤君のを日本ぢや最初に見ましたね。北澤君のあの議論の中では、主として英吉利などのことが書いてあつたと思ふ。日本のは、先生は関係外に置いてゐる。

この他に、新たに千葉亀雄『ペン縦横』(岡倉書房、昭和9年9月)所収の「明治の女性と昭和の女性」(初出誌不明)が見つかった。

(前略)日本では、たしか大正八年か九年かに、英国から帰朝した故薄井長梧子が「モダン・ガール論」を、「女性」に発表したのがこの新語輸入の原始者だと思ふ。

千葉がいう、『女性』の「モダン・ガール論」は同誌大正13年8月号の北澤秀一「モダーン・ガール」だと思われるが、実際はその前に、北澤長梧「モダーン・ガールの表現−日本の妹に送る手紙−」(『女性改造』大正12年4月)や同年1月の『読売新聞』の長梧子「滞英雑記」を書いている。また、北澤は『近代女性の表現』(改造社大正12年4月)で「私が千九百十九年にロンドンへ来」たと書いており、大正8年に英国へ渡っている。千葉は、読売新聞の社会部長だったので、薄井秀一=薄井長梧=北澤長梧=北澤秀一だと知っていてもおかしくはないがどうだろうか。

(参考)2007年9月9日2008年2月5日

*1:『婦人の国』2巻5号、1926年5月。引用は、『コレクション・モダン都市文化第16巻 モダン・ガール』による。