神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

黒岩比佐子さんの最後の一冊

黒岩比佐子さんから初めてコメントをもらったのは、2006年3月7日のことだった。

Hisako 2006/03/07 22:36
 初めまして。拙著(弦斎の評伝)について過分なお言葉をいただき、恐縮しています。桜沢如一についてはくわしく調べる余裕がなかったことと、マクロビオティックについて調べようとして、深入りすると大変なことなりそうだ、という予感がしたので、石塚左玄のことまででやめました(笑)。やはり、もっといろいろなことがあったのですね。

その3月後、東京古書会館における岡崎武志氏とのトークショーで初めて黒岩さんを見ることができた。2006年6月5日参照。この時は、林哲夫氏、古書現世向井透史氏、書肆アクセス(当時)の畠中理恵子さん、某女史、退屈男氏らもおられた。終了後、司会の人が黒岩さんに「G社の方がお話があるそうです」と言っていたが、その後同社から本が出たわけでもないし、何の話だったのだろう、と今でも思っている。

そうだ、黒岩さん、この年の8月17日にもらったコメントで、「改めてコメントします」と書いておられたそのコメントは、結局もらっておりません。私もそちらに行った時に、教えてもらえるでしょうか。

Hisako 2006/08/17 22:42
 温泉には入れないと思いますが、明日から出張します……。修善寺村井弦斎の件は、改めてコメントします(ノートを引っ張り出さないと旅館名を確認できないので)。

この「ノート」とは、先日東京古書会館で展示されたもののことなのでしょうね。あれには本当に頭が下がりました。
南部古書会館での雄姿もこっそり拝見しておりました。2007年5月20日参照。なんか、周囲一メートル位に「邪魔しないで」というバリアが張られている感じで、とても挨拶できる雰囲気ではありませんでした。

そして最後にコメントをもらったのは、本年10月2日

Hisako 2010/10/02 06:31
 及川道子のことは今度出る『パンとペン』には書けませんでしたが、拙ブログの2009年6月8日のコメント欄で、彼女の父親と堺利彦が旧知の間柄だったことを教えていただきました。その縁で、堺利彦農民労働学校の資金集めのために開催されたイベントに、及川道子も出演しています。『パンとペン』は原稿を400枚削りましたので、残念ながら、他にも面白いエピソードをいろいろ削除しなければなりませんでした……。

その後同月25日に、黒岩さんは入院された。そして、今月17日に亡くなられた。病気の宣告を受ける一年以上も前に黒岩さんは、「人生最後の一冊」*1というエッセイを書いている*2

そして、いよいよあと一日しか生きられないという状況になったとき、どの本を人生最後の一冊にすべきか・・・。考えてみるとこれは大問題だ。最後の一冊の最終頁を読み終えて満ち足りた思いでこの世に別れを告げる。私にはそれが最高に幸福な人生だと思える。ほかに何も望みはないが、墓碑銘にこんなふうに彫ってもらえたらうれしい。
 「本を愛し、臨終の瞬間まで本をはなさなかった」と。

最期の瞬間まで本を離さなかったかどうかは不明だが、満ち足りた思いで亡くなられたと信じております。

                                                          • -

明日はこれを見るか。

※本の現場シリーズ:編集が語る この本のここが面白い!
「第一回 工作舎 編集・石原剛一郎さんが語る『古書の森 逍遙』」
11月20日(土)19:00〜 深川いっぷくから生中継放送!

を予定していましたが、11/17に著者・黒岩比佐子さんが急逝されたため、内容を変更して
追悼番組とさせていただきます。

「はね飛び舎」UATREAM企画
「本の現場シリーズ 緊急追悼番組 黒岩比佐子さんとの日々――担当編集者3人が語る」
この11月17日、惜しくも急逝されたノンフィクション作家・黒岩比佐子さん。緊急追悼番組として、『明治のお嬢さま』(角川選書)、『古書の森 逍遙』(工作舎)、『パンとペン』(講談社)の各担当編集者が、黒岩比佐子さんとの仕事の日々を振り返ります。

命の炎が消えるまで、ノンフィクション作家としての矜持を守りぬいた黒岩比佐子さんの365日。

11月20日(土)午後7時はhttp://p-man.tvへ。

企画: はね飛び舎

*公開イベントです。20人も入ればいっぱいの小さなスペースですが、担当編集者の生の声を聞きたい、とにかくその場にいたいという方は、深川いっぷくにお越しください。

*1:『読書のすすめ第12集』岩波書店、2008年5月

*2:2009年7月22日に言及している。