神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-01-01から1年間の記事一覧

乱歩の土曜会でポーを語る島田謹二

島田謹二先生が山田風太郎の『戦中派闇市日記』に登場。 昭和22年3月8日 第一相互ビル旧館七階東洋軒の土曜会に出席。(略) 江戸川、大下、木々、渡辺、城氏らを始め会員四十人余り。一高教授英文学者島田謹二氏(終戦前まで台湾帝大教授、比較文学専行のポ…

その後の榊原芳野旧蔵書

明治期の奇人榊原芳野の旧蔵書のその後について、国会図書館の朝倉治彦が書いてくれていた*1。 蔵書は、芳野の歿した年の大体一年後の明治十五年十二月(芳野の命日は十二月二日)に、東京図書館へ寄贈の手続きがとられ、今残っている文書類中の『図書贈進願…

 「銀シャツ党」首領ペリーと古賀政男の弟古賀治朗

ナチスのアメリカ版「銀シャツ党」の首領にペリーという男がいた。三浦関造が在米中に出会っていたらしい*1が、古賀政男の弟治朗も接触している。 眞崎甚三郎の日記*2によると、 昭和15年8月29日 古賀九時半に来訪、米国より帰朝し其の状を報ず。米国には神…

モダンガール嫌いの柳田國男

大正12年に北澤秀一によって使い始められたという「モダンガール」*1。柳田國男はこの言葉が嫌いだった。 『日本』昭和2年8月14日掲載の「国語純化運動(下)」によると、 近頃は又洋語の奴隷となつて、盛んに流行語の為めに追ひ廻されてゐる。例へば『モダ…

石田幹之助が記録した日比谷図書館の図書買上げ事業

『文藝』2巻6号(昭和20年8月1日)の「学藝彙報」欄に石田幹之助が「東京都の民間重要図書買上疎開」を執筆していた。これによると、6月14日現在で既に買取の話の固まった図書として、 故井上哲次郎博士、加賀豊三郎、諸橋轍次博士、河田烈、小西重直博士、…

人相見(にんそうみ)船井梅南

船井梅南を『木下杢太郎宛知友書簡集 下』で奇跡的に発見。 河合錦子(神戸市北長狭通五ノ一九)の昭和2年1月5日付け書簡に、 それは船井梅南といふ人相見、昨年の六月ニ精神病をなほして上けました、其後東京へ帰つて自分か無心ニなつて念すれハ其人ハ自分…

著作権違犯事件に連座して東大を追われた田山花袋の兄

小林一郎先生作の田山花袋の年譜によると、 明治35年3月31日 兄実弥登が、岡谷繁実の自著『皇朝編年史』の出版に当り、史料編纂所の資料を無断で借用したと称し「著作権違犯」に問われた際、岡谷の仕事を直接幇助したと断定され、連座の形で免職になってしま…

思想戦士ガンダム

大日本同志会*1については、岩村正史『戦前日本人の対ドイツ意識』に詳しい*2。『昭和十八年版日本文化団体年鑑』を見てたら、同会が出てきたので紹介。 昭和17年11月現在の役員として、 会長 松本徳明(独逸ボン大学哲学部名誉教授、ドクトル・フイロソフイ…

甘粕正彦の南洋行

佐野眞一『甘粕正彦乱心の曠野』に、「甘粕の長男の忠男氏によれば、昭和十一年頃、甘粕はタイに出かけているという」とあり、当時の出入国記録は確認できなかったという。この甘粕の南洋行だが、おそらく昭和10年だったと思われる。眞崎甚三郎の日記による…

上海に渡る前の三浦関造の動向

神之日本社の中里義美の「神日本日誌」に、上海に渡る前の三浦関造の名前を発見。昭和13年から20年にかけての三浦の具体的な動向は不明だったが、少しずつ判明してきた。 昭和13年9月29日 三浦関造氏来訪社長と要談 14年3月23日 三浦関造氏来訪 三浦は、神日…

大槻憲二がフロイトに言及した最初期の著作

大槻憲二は、『不同調』4巻5号(昭和2年5月1日)所収の「作家時評の流行」で、『中央公論』3月号掲載の正宗白鳥の「ダンテについて」に対し、「フロイドの汎性欲的世界観だつて氏の解釈してゐられる程単純なものではない様である」と批判している。大槻がフ…

神乃日本社に結集したトンデモない人達

戦前のトンデモ好きの弁護士というと鵜澤総明*1や三文字正平*2などがいる。神乃日本社々長を務めた中里義美もその一人であろう。同社の顧問・評議員の一部を抜き出してみると、 顧問一條實孝(公爵) 山本英輔(海軍大将) 小磯國昭(陸軍大将・前拓務大臣)…

日本国語会と仏教関係者

日本国語会の創立発起人には、500余の人が名を連ねていて、この人達のグループ分けをしてみると面白そうである。国語学者、作家、政治家、仏教関係者など。9月27日で挙げた『現代仏教』の編輯同人で日本国語会の発起人と重複するのは、同誌主幹の高楠順次郎…

露伴も傑作と褒めた弦斎の小説

『明星』10号(明治34年1月1日)所収の「露伴雑談」によると、 近頃大和田の『鐵道唱歌』が余程流行して居るさうだが、あれと弦斎の小説は明治の二大傑作だらう、批評家はさう云ふものを捉へて議論するがよい。 露伴が明治の二大傑作の一つという弦斎の小説…

『現代仏教』創刊時の編輯同人

大正13年5月1日、高楠順次郎を主幹として『現代仏教』創刊。創刊時の編輯同人を何人か拾ってみると、 姉崎正治、安藤正純、伊東忠太、宇野円空、小野清一郎、加藤智学、河口慧海、木村泰賢、黒板勝美、桑木厳翼、佐々木月樵、境野哲(境野黄洋)、志賀重昴、…

三浦関造の昭和5年における展望

三浦関造の昭和5年における動向が、『昭和五年版評論随筆年鑑』(評論随筆家協会、昭和5年4月)所収の「昭和四年度の収穫と将来の展望」で判明。 (一)本年度の主要な御著作 神性の体験と認識日本より全人類へ (二)本年度の新聞雑誌へ寄せられし主要な玉…

小野賢一郎と東京日日新聞の伝書鳩利用計画

黒岩さんの『伝書鳩』(文春新書)に出てくる東京日日新聞による菱田少将の「鳩の講演会」や「伝書鳩利用計画」。東日の記者だった小野賢一郎が関係していたらしい。『明治・大正・昭和』(萬里閣書房、昭和4年4月)所収の「鳩通信の話」によると、 (大正九…

その後の島津治子

不敬事件を起こした島津ハル(治子)に関するピンクの井上章一先生の『狂気と王権』については、6月9日に言及したところである。同事件については、保阪正康氏も『サンデー毎日』9月14日号で「昭和史の大河を往く」の「第9部華族たちの昭和史(16)」として…

東京精神分析学研究所創立期のメンバー

昭和3年に創立されたという東京精神分析学研究所。「本研究所事業案内並びに業績報告」『精神分析』創刊号(昭和8年5月1日)によると、創立者は、長谷川誠也、対馬完治、長田秀雄、大槻憲二、矢部八重吉、松居松翁、馬渡一得、酒井由夫その他。昭和8年現在の…

鴎外が弦斎に見せたかった戦争と平和

鴎外の「妄人妄語」『萬年艸』巻第九(明治36年10月31日)に、 ○戦争と平和との中のMarja Dimitrewnaといふ女には、どこやら弦斎の雲岳女史の面影が有る。弦斎にあの辺を読ませて見たいものだ。 とある。 - 国立公文書館では、10月4日から「学びの系譜―江…

藤澤親雄も悩んで大きくなった。

クリスティ『奉天三十年』の訳者矢内原忠雄が、一高の弁論部委員だった時の話。矢内原の日記によると、 大正2年1月25日 夜弁論部委員引継のため弥生亭に行く。新委員三名とも大好きなり篠原君記録、藤沢君会計、常雄さん掲示。 3月26日 藤沢君神経衰弱とかに…

自然社と三浦関造

更新文学社*1を興した三浦関造だが、自然社なる出版社とも関係があるらしい。 森本厚吉が監輯した『文化生活』4巻10号(大正15年10月)に「日本に就ての対話(全国講演旅行を終へて)」を執筆した三浦の「執筆者紹介」として、「自然社を起し、同志を糾合し…

 大正5年に神智学を語った人たち

大正5年に、神智学について語ったリシャール*1と三浦関造*2。 エロシェンコもまた、語っている。「雨が降る」『早稲田文学』123号(大正5年2月1日)によると、 −『然うです。出来ます、そして石や植物も亦た発達することの出来るものです。然し人間はきつと…

 蒼空画会と星製薬

里見とんが「中戸川吉二君に贈る」とする「春の水ぬるむが如くに」*1に、 去年の春、星製薬の楼上で催された蒼空画会で、志賀君と私との共通の友人である、同会の同人、山内神斧君と志賀君とが落合つて、たまゝゝ私の話が出た。 また、星製薬における展覧会…

 朝日新聞記者西村真次を訴えた催眠術師

森銑三の恩師であった西村真次。森の「渋川玄耳の夢想した学校」『明治人物閑話』にも登場する。 玄耳が社会部長だった頃の「朝日新聞」には、社会の各方面の問題を連載記事として取上げて、有力な記者をして取材執筆に当らせている。評判のよかったそれらの…

 元祖モダンガール望月百合子とアレキサンダー女史

石川三四郎を生涯「パパ」と呼び続けた望月百合子。森まゆみ『断髪のモダンガール』では、元祖モダンガールとしてトップに登場する。 望月は「秋田雨雀とバハイ」*1で、バハイ教への信仰を詳しく書いている。 私が女学校の四年生になった時アレキサンダーは…

オタどんと書物奉行の“爆笑ト問題”

オタどん 誕生日おめでとう。 書物奉行 ありがたう。 オタどん いくつだっけ、アラフォーかすら? 書物奉行 ほっといて(笑)。わすのことよりも、岩波新書は創刊70周年だすね。 オタどん そうそう70年前の11月20日、クリスティー著、矢内原忠雄訳の『奉天三…

 神保町の喫茶らんぼおの終焉(その2)

昭和24年6月9日消印の埴谷雄高の野間宏宛書簡*1に「ランボオ」が出てくる。 来週火曜十四日は正午からランボオで同人会をやり、二時から小山書店と野球の試合をやります。時間があれば、きて下さい。 らんぼおの閉店については、昨年11月9日にも紹介したとこ…

漱石と図書館について語る美添紫気こと森川鉉二

岩波文庫にもなっている森銑三の『書物』所収の「児童図書」に出てくる蓬左文庫主任の森川鉉二(もりかわげんじ)。 この人と昨年6月30日に言及した美添紫気が同一人物と判明。夏目漱石の日記*1明治44年5月26日の条に、 ○晩に箪笥へ唐様様模[唐草模様]の袋を…

酒井勝軍と富士山に登る竹久夢二

同時代に生きていれば、どんなに意外な組み合わせの人物の出会いがあっても不思議ではないだろう。なんせ、大東亜図書館学の書物奉行氏と大東亜トンデモ学のオタどんが、リアルで遭遇したことがあるぐらいだからね(笑 さて、明治時代に出会っているこの二人…