神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2008-01-01から1年間の記事一覧

エリアーデの『ムントゥリャサ通りで』を凄いと言った男

再び若島正先生に登場してもらう。「マイトレイ」*1に、 今から二十年前のこと、京都にエディシオン・アルシーブというグループがあって、《ソムニウ【夢】》というタイトルの幻想文学研究誌を季刊で出していた。この雑誌は四号出てちょうど一年で廃刊になっ…

佐々木喜善と村井弦斎

佐々木喜善が『岩手毎日新聞』に連載した「紅塵」*1によると、 余等が鍛冶町の新生活が、その心と体に全くの自由と気儘とを与へた。(略) 春であつた。中津川の畔には桜が咲いた。私は、碌に学校にも行かず、六畳の表二階に引込んで夜と昼なく小説を読んで…

有島武郎の住所録に三浦関造の名前

有島武郎の「住所録手帖」に藤澤親雄や市河彦太郎の名前があることは、昨年5月2日に紹介した。改めて見てみると、秋田雨雀、井箆節三*1、松岡虎男[ママ]麿*2、中戸川吉次[ママ]*3、沖野岩三郎、岡田道一*4、田山花袋、生方敏郎*5、竹久夢二、望月百合*6とい…

読書会で奥さんを捕まえた若島正

若島正「青春の短篇小説あるいは短篇小説の青春」*1によると、 大学院生だったころ、学部生と一緒に、「英米の短篇を読む」という読書会をやっていた。(略) この読書会には、当時京大SF研の大森望も参加していた。そのときにいた学部生の女の子たちのう…

東京図書館で借覧する清沢満之

東京大学予備門に通っていた清沢満之の日記に、東京図書館らしきものが出てきた。 明治16年4月13日 入浴後図書館に至り、息軒遺稿、回天詩史、柳河東集、及び梅翁随筆借覧す。時間不足故熟読することを得ずして帰る。 4月16日 其より神保町小川町錦町を散策…

鴨川の風が作家を生む

『読書のいずみ』秋号の「座・対談」で万城目学氏は、小説を書くきっかけについて語っている。 小説家を意識したのは大学3回生の秋くらいです。大学から自転車で帰るのですが、ちょうどその時に鴨川方面から風がフッと吹いてきまして、それが非常に気持ち良…

里見とんの原稿料

『モダニズム出版社の光芒 プラトン社の1920年代』からの孫引きだが、西口紫溟『五月廿五日の紋白蝶』(博多余情社、昭和42年)に、プラトン社における作家の原稿料(一枚当たり)が載っているらしい。 15円 幸田露伴 10円 田山花袋、佐藤春夫、里見とん、菊…

一番手のかかる患者

大岡昇平の『成城だより』にも谷崎ネタあり。 昭和54年12月11日 中沢徳弥君はもと熱海国立病院の副院長、退職後、清水町にて開業していた。文学にかかわることを記せば、熱海居住中の谷崎潤一郎、志賀直哉、広津和郎の主治医なり。もうみんな故人だから書い…

東大ではSFの講義

巽孝之「SF研究の現在」*1によると、 わたし自身は、本務校である慶應義塾大学では一九八八年、日吉の一般教養課程にてSF講義を行ったのみだが、それ以外では、二〇〇五年と今年二〇〇八年、東京大学文学部西洋近代語近代文学専修課程講義として「SF−…

奇絶、怪絶、又壮絶!戦時下の天狗倶楽部

ヨコジュンさんは、『[天狗倶楽部]快傑伝 元気と正義の男たち』(朝日ソノラマ、1993年8月)で、天狗倶楽部について、次のように書いている。 [天狗倶楽部]は、昭和初期まで名前は残っていたようだが、その最盛期は明治末から大正初期で、メンバーは大正四年…

三田村鳶魚とその時代

安食文雄『三田村鳶魚の時代』は、「牧野元次郎のニコニコ主義と雑誌『ニコニコ』」も収録されていたりして、楽しめる本である*1。同書の「三田村鳶魚と知の交遊圏」によると、鳶魚が知的な交遊関係を持った人物としては、 山中共古 林若樹 三村竹清 寒川鼠…

らんぼおと壺井栄

昭和24年2月、神保町の「らんぼお」で、多喜二祭の二次会が開かれていた。 壺井栄「袖ふりあう」*1によると、 一九四九年といえば、戦後の混乱の中からようやく秩序が生まれてきかかったころではなかろうか。おそらく戦後はじめて公けにもたれた多喜二祭だっ…

谷崎潤一郎と福井久蔵

藤原学「「昔の東京」という京都イメージ 谷崎潤一郎の京都へのまなざし」*1を見てたら、目新しい事が書いてあった。 従来、築地精養軒主人の北村家に谷崎を斡旋したのは、府立一中教師の渡辺盛衛とされてきた。しかし、藤原の発見によると、福井久蔵「教壇…

手塚治虫『新寶島』四十万部発行伝説の謎

中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝』は、手塚治虫『新寶島』の初版・再版について、刷れば刷るほど磨耗し、四、五千部も刷ると使い物にならなくなる描き版で印刷されているから、四十万部も発行できたはずがないと疑問を呈した。これは、「書物蔵」でも言…

癩伯爵の扱いー大島渚と栗本薫ー

大島渚もグイン・サーガを読んでいたりする。「癩伯爵のからっぽ」(『栗田勇著作集第十一巻』付録、昭和55年1月)によると、 栗本薫のヒロイックファンタジー『豹頭の仮面』は近頃私をもっとも興奮させてくれた読みものだが、その中にスタフォロス砦の城主…

関根喜太郎と高橋新吉

「書物蔵」で引用されていた、『宮沢賢治全集』第7巻月報(1973.5)所収の高橋新吉(ダダイズム詩人)の一文*1。高橋は、関根喜太郎について、より詳しいことを『ダガバジジンギヂ物語』(思潮社、昭和40年7月)に書いている。 素人社へ行くと、体格のいい金…

春陽堂の編集者島源四郎

春陽堂の編集者だった島源四郎については、5月30日、6月1日に言及したところであるが、岡本綺堂の日記*1でも発見したので紹介しておこう。 昭和3年10月15日 午後、近所を散歩して帰ると、春陽堂の島源四郎君が来て、日本戯曲全集十二月発行の分は岡本綺堂編…

神楽坂の食道楽げん喜

ありますた。 昭和5年12月10日 牛込神楽坂食道楽(惣菜)げん喜にて惣菜を買ひ帰る 日記の筆者は坪内逍遥。食道楽と言っても、食堂ではなく惣菜屋さんみたいだから、もしかしたらおとわ亭の支店とは無関係かもしれない。 - 植田康夫『自殺作家文壇史』(北辰…

甲鳥書林といふ素人の本屋

わしも甲鳥書林のネタを。『岩波茂雄への手紙』所収の昭和15年5月31日付け中谷宇吉郎の書簡によると、 実は小生の第二随筆集を纏めてをきたいと思つてゐましたのですが 四月一寸小林[勇]君に其の意向を漠然とつたへて見たところ御店の方では大分紙に難渋して…

 世界文庫刊行会の箱木一郎さん

長男十蔵を亡くした江渡狄嶺は、大正9年、同じく幼児を亡くした人達が遺骨を祀る場所を持ちたいとして、石田友治、松宮春一郎、水野盈太郎(水野葉舟)とともに、「可愛御堂」の建造を呼びかけた。この御堂の「建築設計に就いては、特に高村光太郎氏を煩は…

山田珠樹は最期に誰を思ったか

伝記も年譜もなさそうな仏文学者の山田珠樹。その最期が、神西清の日記に書かれていた。 昭和18年11月24日 この日の午前山田珠樹氏、小坪の療養所に於て急逝さる。廿六日午後東御門の邸にて告別式あり、由里子*1出向きたる旨を後に知れり。先日「仏蘭西中世…

松宮春一郎と西川文子

『新真婦人』102号(大正10年11月1日)は、西川光二郎・文子の次男和の追悼号である。葬儀・会葬・慰問・香典を賜った人として、与謝野寛、与謝野晶子、高島圓(高島米峰)、高島平三郎、中里介山、羽仁もと子、石田友治、野口復堂、中山泰昌といった名前が…

高村光太郎の音痴に驚く酒井勝軍

酒井勝軍について、相馬黒光(一昨年4月5日参照)、竹久夢二(9月11日参照)との意外な関係に続いて、高村光太郎との関係も発見した。 高村の「回想録一」*1によると、 青年になつてからも、本郷の中央会堂の椽の下のところでやつてゐた酒井勝軍のもとに通つ…

山田珠樹・森茉莉夫妻の帰国

従来大正12年8月とされてきた森茉莉の帰国だが、同年7月以前が正しいようだ。 大正12年7月27日付けと推定される与謝野寛の森潤三郎宛書簡(『与謝野寛晶子書簡集成第二巻』)に、 山田珠樹様御夫婦がめでたく御帰朝になりましたので、千駄木の奥様、電話にて…

大槻憲二の発禁本

発禁年表にて大槻憲二の発禁本を拾う。 『冷感症とその治療』(東京精神分析学研究所、昭和14年5月5日)、処分:5月29日、処分理由・摘要:性行為に関する記述、四二−四九頁削除 『日本の反省』(道統社、昭和16年10月25日)、処分:17年1月21日、処分理由・…

関根喜太郎の幻(補足)

「書物蔵」で言及されていた大澤正道「関根康喜の思い出」*1に、関根が戦時中埼玉県吹上町に疎開していたことや、同町の地主の生まれと推定できることが書かれている。また、大正初年に既に土岐哀果の『生活と芸術』や堺利彦の『新社会』に「不平満々の短歌…

『西洋の没落』と少女マンガの格差

中央公論新社の『哲学の歴史』シリーズは、別巻『哲学と哲学史』で完結。「これまでに最も感銘あるいは影響を受けた書物、または最も知的興奮を味わった書物」というアンケートに対し、佐藤卓己氏が、シュペングラー『西洋の没落』村松正俊訳(五月書房、197…

関根喜太郎の幻

宮澤賢治『春と修羅』(関根書店、大正13年4月)の発行人である関根喜太郎については、その生涯がかなり判明してきたところである。これまでに次のような研究がなされている。 『日本アナキズム運動人名事典』の「荒川畔村」の項(大月健氏執筆) 小田光雄氏…

堀内庸村と日本読書サークル

庄司徳太郎氏(筆名・庄司太郎)の『私家版・日配史』に昭和22年の事として、 十月十日(小雨) ・・・・新井氏*1の紹介で読書研究家の堀内庸村氏と会い、読書サークルの問題につき懇談した。 堀内庸村が出てきただす。「読書サークル」とは、同年11月11日に…

三浦関造と松宮春一郎のつながり

出口一雄の『読書論の系譜』(ゆまに書房)所収の「「読書論」文献解題」は読書論に関する文献766冊を取り上げている。その中には、松宮春一郎編『読書論』*1(世界文庫刊行会、大正12年11月)も含まれていて、「九篇のうちソローの「読書論」は三浦関造氏の…