佐野眞一『甘粕正彦乱心の曠野』に、「甘粕の長男の忠男氏によれば、昭和十一年頃、甘粕はタイに出かけているという」とあり、当時の出入国記録は確認できなかったという。この甘粕の南洋行だが、おそらく昭和10年だったと思われる。眞崎甚三郎の日記によると、
昭和10年10月14日 江藤夏雄、源九郎。江藤一昨日上京セリトテ訪問ス。格別ノ要件ナシ。今回甘粕大尉ト共ニ南洋ニ赴キ年内ニ帰ルト云フ。予ハ尚談ズベキコトアリシモ、多数ノ来客ノ為再開ヲ約シテ分ル。
源九郎モ来訪シ報知及毎夕新聞ヲ持チ来ル。
江藤夏雄(江藤新平の孫)は元満洲国民生部総務司人事科長、甘粕も民生部警務司長(宮内府諮議の可能性もある)。江藤は、昭和3年京大経済学部卒業後、満鉄に入社、東亜経済調査局で大川周明と出会っているので、その時に甘粕とも知り合った可能性がある。ただ、江藤の年譜(『江藤夏雄著作集』)には、
昭和10年3月 疲労致したれば暫く休憩仕ると称し退官、帰国して肥前国佐賀龍泰寺小路に閑居す。
11年8月 疲労治癒せりと称し渡満、満洲国協和会の役員となり、皇道精神の普及教化を事とす。
とあって、甘粕との南洋行については言及されていない。年譜中に「協会会の役員」とあるが、正しくは協和会中央本部総務部文書科長。甘粕は昭和12年4月に同会総務部長となっているから、この二人は上司・部下の関係になったことになる。
(参考)8月14日
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-