神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

酒井勝軍と富士山に登る竹久夢二


同時代に生きていれば、どんなに意外な組み合わせの人物の出会いがあっても不思議ではないだろう。なんせ、大東亜図書館学の書物奉行氏と大東亜トンデモ学のオタどんが、リアルで遭遇したことがあるぐらいだからね(笑


さて、明治時代に出会っているこの二人の場合も、決して意外なものではないのだろう。
堀内清「竹久夢二とミスデントン」(『同志社時報』27号、昭和42年9月)によると、

明治四十二年(一九〇九年)七月十八日、酒井勝軍氏が主宰されていた讃美奨励会の主催で、富士山頂における讃美礼拝の計画があり、当時、同志社普通学校在学中であった私はこれに参加したのであった。(略)
はからずも私はその団員の中に「竹久夢二」と名札をつけた芸術家タイプの青年を発見し、これがその当時中学世界その他にコマ絵を出して有名であった夢二であることを確認し、登山中ほとんど終始話し相手としてその道中を楽しんだのであった。


という。酒井がまだトンデモないことを言い出す前の時期だけど、夢二と関係していたとは驚き。酒井のその後のトンデモない「活躍」を、夢二はどう見ていただろうか。

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