石川三四郎を生涯「パパ」と呼び続けた望月百合子。森まゆみ『断髪のモダンガール』では、元祖モダンガールとしてトップに登場する。
望月は「秋田雨雀とバハイ」*1で、バハイ教への信仰を詳しく書いている。
私が女学校の四年生になった時アレキサンダーはハワイに一時帰り、ミーティングは盲学校の先生で熱心なバハイ信徒の鳥居篤治郎さんの家でつづけられたが、その頃から秋田さんが余りミーティングに出られなくなったので、私が秋田さんのお宅に押しかける仕儀になったというわけだった。
望月が成女高等女学校の四年生に編入したのは大正6年3月。この時期の秋田の日記には、なぜか望月は出てこない*2。同日記の同年7月26日の条に「アレキサンダー女史は急に電報がきてアメリカに帰ることになったので、河合君、高尾君、福田君などと送って行く」とあるので、アレキサンダー女史が一時帰国したことは、真実のようだ。アレキサンダー女史やエロシェンコと交流していた望月だが、そうなるとリシャール夫妻とも出会っていた可能性が高い。望月は2001年まで健在だったから、戦前のリシャール夫妻を知っていたかもしれない人物がついこの間まで生きていたことになる。
元祖モダンガール望月百合子。森の書によると、大正8年の断髪後、白い服をこさえ、これに合わせるため、横浜の元町で靴、下着、靴下をあつらえ、帽子はアレキサンダー女史にもらったという。
(参考)もう一人の百合子、宮本百合子とアレキサンダー女史との出会いについては、3月27日。
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関根進『大正霊戦記―大逆事件異聞 沖野岩三郎伝』(書斎屋)なる本が出ているらしい。書誌鳥Bさんは、とっくに読んでいるかすら。
NHKの次期連続テレビ小説「だんだん」は、出雲が舞台の一つらしい。南陀楼さんの故郷だすね。