鏡花全集別巻(岩波書店、昭和51年3月)に収録されている山内英夫(里見とん)宛の書簡下書によると、
今朝谷崎君より電話にて例の階[ママ]楽園の会今夕相催したくあなたと阿部さんの御都合きゝあはせくれとの事にて唯今会社の方へ電話にてたづね申候ところ阿部さんはほかに約束あるよしをりかへし谷崎君に相談いたし候へばあなたの御都合さへよろしくば午后五時より同処にて一酌ぜひとの趣少々おかげんのわるさうなところどうかと存じ候へどもいかゞいかゞ
三日
「大正九年以降カ」と推定されていたので、最初は谷崎潤一郎が顧問となった大正活映株式会社がらみのエピソードかと思ってしまった。というのも、同年に鏡花の『葛飾砂子』が谷崎の脚色で同社から映画化されているからだ。それで、「阿部」は、大正活映関係の人物かと思ってしまっていた。
しかし、鏡花や里見の周辺の人物で阿部というと、阿部章蔵、筆名水上瀧太郎のことだろう。水上は明治生命保険株式会社の創業者阿部泰蔵の四男で、同社に勤めていた。「会社」とは明治生命のことだろう。また、里見、谷崎、水上というメンバーから言うと、この三人のほか、久保田万太郎、芥川龍之介、小山内薫が編集委員を務めた『鏡花全集』がらみのエピソードみてよいのではないか。鏡花の年譜(『新編泉鏡花集別巻2』)によると、水上は、大正13年3月初旬、鏡花に招かれた席上、全集を春陽堂から出す約が成ったことを聞き、自分の手元にある編輯用の資料の提供を申し出て、その際、他の編輯委員が、小山内、谷崎、久保田、芥川、里見の五名であることも告げられたという。
と、ここまでは猫猫先生の里見本を読むまで仕込んであったネタだが、同書を読んでいたら、大正9・10年の出来事でもおかしくない気がしてきた。里見の体調が悪そうなことから言うと、同年12月罹患した軽いパラチブスから回復して間もない話ということか。
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街では邪教徒のイベントで騒々しいが、おっさんは今日もしこしこブログでも打つか。ていうか、お一人様用のケーキでも買いに行くか・・・・しょぼーん。
「書物蔵」のタイトルがいつのまにか、「書物蔵 : 図書館絵葉書を求めて」に変わっとる。
来年1月11日の読売の「著者来店」には、『「愛」と「性」の文化史』の佐伯順子さんが登場するらしい。萌え〜、じゃなかった、佐伯先生に萌えてどうする(笑