神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『京都人物山脈』(毎日新聞社)に万屋主人金子竹次郎

f:id:jyunku:20190514202042j:plain
何年か前の京都古書会館の古本市で『京都人物山脈』(毎日新聞社、昭和31年12月)を見つけた。毎日新聞京都市内版の連載をまとめたもので、京都の産業、文化、芸能などの各界の人々の群像を描いている。戦後の京都に興味はないし、広く浅い本はダメと思ったが、「旅館」の項に「京都の文人宿万屋主人金子竹次郎が残した日記 - 神保町系オタオタ日記」で言及した万屋の金子竹次郎が出てくるので購入。数年ぶりに掘り出して読んで見ると、人名索引は完備しているし、「美術商、表装」、「詩」、「出版」、「書店」、「映画」など面白い項目もある。「染織図案」では、最近調べている人物について有益な事が載っていた。惜しいのは「喫茶店」の項がないことだが、昭和30年前後の京都について調べる時には便利だろう。
さて、金子については次のようにある。

谷崎潤一郎長田幹彦吉井勇らの老大家と二十代のときから親交があり、これらの人々に祇園街を案内したのが“万家”ーーよろずやーー金子竹次郎(七一)で四代目。一中ーー同志社文学部卒(明四二)で京都での最後の漢学塾の光堂塾で四書五経を習った。文学青年だったため京大茅野教授夫婦(ドイツ文学)と親しく、同教授と吉井勇が近しかったため吉井とも深くつき合うようになった。谷崎の”朱雀日記“長田の“尼僧”などが生れたのもそのころ。島村抱月坪内逍遥、太田喜二郎、中沢弘光、小絲源太郎などとも若いときから深い交り。今でも絵を描きチャーチル会員。長男和太郎(三八)ーー同大経ーーはオヤジの弓道好きの血をひき同大で後輩に弓を教えている。

他の文献では見られなかった情報が出ていて、役に立つ。そもそも、店名は萬屋が正しいと思っていたが、萬家が正しいのかもしれない。写真等で確認する必要がある。