さて、「谷崎潤一郎詳細年譜」の大正11年7月11日の項を見ると、
11日、日本橋若松で「お国と五平」合評会。谷崎、荷風、小山内、岡田八千代、万太郎、周太郎、伊原青々園、岡鬼太郎、久保田米斎。
これは『新演藝』の合評会だが、このメンバーのうち、荷風、小山内、岡田、久保田米斎は、この日鴎外の通夜にも参加している。さぞ、あわただしかったと思うが、その様子は米斎の日記に書かれていた。
賀古鶴所 永井荷風 与謝野寛の三氏の連名にて今夜鴎外博士の棺前にて追懐談をなしつゝ一夜を過さんとするにつき来会あるべしとの通知あり 此夜は合評会の約ありしまゝ合評会を断りしに内山君*1より特に使ありて合評会後永井、小山内の諸氏亦森先生邸へ参会の筈につき合評会へも出席あるへしとの事につき承諾の返事をなす(略)夕五時合評会に出席す 谷崎潤一郎氏にはしめて遇ふ 会は十時頃了りしかは永井、小山内、岡田八千代の諸氏と自働車にて森先生邸に到る(略)予は永井荷風、内田魯庵氏なとゝ語りつゝ終に天明に達したり
谷崎には通知は行かなかったらしい。『鴎外研究年表』によれば、通知状によって集まったのは、小島政二郎、石井柏亭、芥川龍之介、鈴木三重吉、吉井勇、高村光太郎、北原白秋、伊上凡骨ら。
(参考)鴎外と谷崎については、一昨年2月12日参照。
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「谷崎潤一郎詳細年譜」が参考になったらしい。→「okatakeの日記」12月18日分。
『小説すばる』1月号の「荻原魚雷の古書古書話」は、『一箱古本市の歩きかた』の話です。
*1:『新演藝』の編集部員内山佐平と思われる。